集団「Emication」別館

楽しく学び,楽しく活動する,笑顔の集団「Emication」。 ふるさとの自然,歴史,風俗などお伝えします。読書や豆知識の発信もしていきます。 活動する人,行動する人,その応援と支援をする集団「Emication」。

「ラーケーション」? 『54字の物語Q(エイト)』(氏田雄介・編著/武田侑大・イラスト)

花0320。  先週末、愛知県から「新年度から“ラーケーション”の制度を導入する」と発表がありました。  以前に「平日に年間3日の休みがとれる…」と聞き、休日を増やすものだと思っていましたが、“保護者に向けた取り組み”でもあり、
 保護者との『校外学習』をするために設けられる
もので、「働き方改革」に続いて『休み方改革』を進めていくそうです。  成果(?)のある取り組みになるには…。  クイズ番組の「54字の物語」からの問題には、「なるほど」と感心し、「そうか」と驚きます。  また、“#54字の物語ハッシュタグの付いた投稿は、InstagramTwitter に、いろいろな話が見つかります。「9マス×6行の原稿用紙」に、それぞれの世界が描かれています。  以前、シリーズ第8弾の『54字の物語∞(エイト)』を紹介』を紹介しました。  先日、図書館で、シリーズ第9弾となる『意味がわかるとスッキリする超短編クイズ 54字の物語Q 』(PHP研究所・刊)があるのを見つけ、借りました。  まずは、はじめから一つ一つ解いて…  出版社は、
 シリーズ第9巻は、人気番組「くりぃむクイズ ミラクル9」で話題の「54字の物語クイズ」をはじめ、子どもから大人まで楽しめる超短編クイズを80作掲載! ------ 【?】に当てはまる言葉、わかりますか――? ◆長い間人々を脅かしている地縛霊。僧侶が何度念仏を唱えても。全く成仏する気配がない。「あ、こいつ、【?】の霊だ! 」(→答えは漢字1文字) ◆電子機器に疎い祖父が電子書籍リーダーを買った。読みたい本はたくさんあるらしいが、真っ先に【???】を読み始めた。(→答えは漢字3文字) (略) ……など、答えがわかるとスッキリする超短編クイズを収録。  クイズの答え&物語の解説は、ぜひ本書でお楽しみください!
と、本書の紹介を載せています。  また、本書の発刊を記念して「第10回 54字の文学賞(#54字の物語)」が実施され、その優秀作が発表されています。  掲載された80作のなかから、 ========= Q11 「?」に当てはまる「漢字1文字」は?
反抗期の息子が母親の頭を叩いた。母親は泣いて悲しんだ。翌日、今度は母親の「?」を叩いた。母親は涙を流して喜んだ。
Q32 「?」に当てはまる「カタカナ1文字」は?
防犯に買ったサイレンが突然鳴り始めた。電源を切っても止まらない。故障と思ったが「?」をつけたら静かになった。
=========  分かりましたか。  当てはまる言葉・文字が分かったとき、「スッキリ!!」。
54字0320。
 あなたも、本書の物語を楽しみ、そしてスッキリしてみませんか。  でも、何も思い浮かばないと…。  そして、「9マス×6行の原稿用紙」に、あなたの物語を綴ってみてはいかがでしょう。
   目次 はじめに  難易度 ★ Q1 地縛霊 ・・・  難易度 ★★ Q15 メーカー ・・・  難易度 ★★★ Q29 お花見 ・・・  難易度 ★★★★ Q43 人魚 ・・・  難易度 ★★★★★ Q57 ダイイングメッセージ ・・・  難易度 ★★★★★★★ Q71 怪しい影 ・・・ Q80 脱出 54字の原稿用紙
【関連】   ◇氏くん(@ujiqn)Twitter)   ◇武田侑大(unigimo)(@unigimo)Twitter)   ◇考え中のこと(note)   ◇#54字の物語ハッシュタグInstagram ? 写真と動画)   ◇ #54字の物語 - Twitter検索Twitter)   ◇「ラーケーション」って何? 愛知県で全国初の導入 親子で「校外学習」 “休み方改革”の一環で…(2023/03/18 日テレNEWS)

『リボルバー』(原田マハ・著)

花0319。 朝は気温が低かったですが、日中は暖かくなり暑さを感じました。  用事があって新幹線を利用しました。  車内は…。マスクは…。  名古屋で開催されていた 「ゴッホ・アライブ」に行きたいと思いながら、鑑賞・体験できず閉幕してしまいました。  ゴッホを気にしているとき、表紙と裏表紙に“ゴッホの「ひまわり”が載っている『リボルバー』(幻冬舎・刊)を目にしました。  表紙には“耳切り”の直前に描かれた「ひまわり」、裏表紙は最も有名な「ひまわり」です。  「ひまわり」を描いたゴッホの話ですが、共に暮らしたゴーギャン、そして“その死”が登場します。  それを聞き、語り、調べ、辿るのは…。  ゴッホゴーギャンの研究者 高遠冴 を中心に、オークション会社「ザザビーズ」に勤める友人の 小坂莉子、CDC社長の エドゥワール・ギロー、同僚の ジャン=フィリップ・ブノワ…。
──さあ、サエ、我らがウォーショースキー。ここらで謎解きをしてくれ。あの錆びついたリボルバーの正体が、いったいなんなのかを──。
 出版社の図書紹介には、
 誰が引き金を引いたのか?  「ゴッホの死」。アート史上最大の謎に迫る、著者渾身の傑作ミステリ。  パリ大学で美術史の修士号を取得した高遠冴(たかとおさえ)は、小さなオークション会社CDC(キャビネ・ド・キュリオジテ)に勤務している。週一回のオークションで扱うのは、どこかのクローゼットに眠っていた誰かにとっての「お宝」ばかり。  高額の絵画取引に携わりたいと願っていた冴の元にある日、錆びついた一丁のリボルバーが持ち込まれる。  それはフィンセント・ファン・ゴッホの自殺に使われたものだという。  「ファン・ゴッホは、ほんとうにピストル自殺をしたのか? 」 「――殺されたんじゃないのか? ……あのリボルバーで、撃ち抜かれて。」  ゴッホゴーギャン。生前顧みられることのなかった孤高の画家たちの、真実の物語。
とあります。  この“一丁のリボルバー”が、ゴッホの死を語ります。その語りは、真実なのか…。  ゴッホが描いた「ひまわり」は…。  ゴーギャンが描いた「○○」は…。  そこに…。
「出来過ぎの話かもしれないけれど、私、信じたいです。だって、マダム・エレナを通じて、聞こえてきたから。レアの声、ヴァエホの声。テオの声。フィンセントの声も。ポールの声も……」(略)  日本に憧れ、美の理想郷を求めてアルルへ旅立ったゴッホ。  世間をあっと言わせようと、新しい様式の確立に執念を燃やし、誰よりも遠くへ到達しようと足掻いたゴーギャン
 著者の描く“真実”に、わくわく、どきどきして、先が気になって厚い本ですが止まりませんでした。  あなたにお薦めです。
   目次 0 プロローグ いちまいの絵 1 ふたつのリボルバー 2 サラの追想 3 エレナの告白 4 ゴーギャンの独白 5 オルセーの再開 6 エピローグ タブローの帰還
【関連】   ◇原田マハ公式ウェブサイト マハの展示室   ◇『総理の夫』(原田マハ・著)(2021/09/12 集団「Emication」) 【メモ;職員の異動検索】  中日新聞東京新聞に「教職員・公務員の異動」が掲載されるのに合わせ、ネット検索できます。  すでに発表された県や市の異動が調べられます。
名簿検索2023。

社歌コン。 3-1.11 「奥平貞能(2)」 (作手村誌)

花0318。 雨模様の一日でした。  先日、新聞に「NIKKEI 全国 社歌コンテスト2023」の記事あり、大阪府枚方市の“”が最優秀賞でした。
 「社歌」のコンテストができるほど、今も歌われているんだ…。  「枚方市」の読み方は、「マイカタ市」じゃなかったよな。何だったかな…  市の歌も「社歌」なの… …
 いろんなことを思いながら記事を読みました。  YouTubeチャンネルで公開されている“社歌“を聴いてみませんか。  『作手村』(1960・昭和35年発行)は、「第一編 郷土と自然」から「第二編 村の沿革と歴史」へと続きます。  昨年の大河ドラマ鎌倉時代、そして今年は徳川家康を描いています。  『作手村』(1960・昭和35年発行)から「諸豪族勃興時代」の奥平氏についの紹介です。 ********     第二編 村の沿革と歴史     人物 奥平氏   奥 平 貞 能 (つづき)  元亀元年九月、武田信玄 秋山晴近をして東三河を攻略せしむ、田峯の城主菅沼刑部貞吉、長篠の城主菅沼新九郎正貞等降る。貞能独り猛威に抗し、河合彌兵衛をして木和田村城ヶ根砦を守らしむ、支うる能わず逃れて田原村牛古屋砦に入る、叉支えず、貞能乃ち作手を退きて額田郡久保域を保つ。晴近 貞能の従士山崎善七郎を降す。武田氏更に初鹿野伝右衛門を遺して曰く、今武田と和して味方に属さば本領を安堵して更に新地を加えん、若し肯かずんば田峯、長篠等を先鋒となし大軍を以て圧伏すべし、偶々貞能の弟甲斐にあり、一書を致して降附を勧め来る。是に於て一族老臣以下を城中に招集し一家存亡の重大事を議す。族臣和田出雲某、助次郎貞包等如きは伝右衛門の言を容れずんば武田に組して宗家に反かん と公言し、硬軟両説紛然として殆んど収拾すべからず。貞勝(貞能の父)乃ち曰く、今や山中悉く武田に属して孤城援なく、二百の手勢焉んぞ克く武田の大軍に抗するを得んや、強いて抗して破滅を招かんより一時彼に聴いて時節を待つに若かずと、貞能及び世子信昌、堅く執りて徳川家に離反するを不可とするも、危急切迫せる外部の情勢と複雑微妙なる内部の事情とに制せられ、竟に巳むなく是議に従う、伝右衛門大いに喜んで、貞能の婦人及び一族の子弟の質子を徴す。而して婦人病んで応ずる能わず、列座の一同頗る困惑す。時に貞能の第二子仙丸(十才)進みて曰く。兄九八郎は槍をとつて戦地に馳駆するも、児は幼若にして未だ剣を知らず、家国のため母に代りて質子とならんと、貞能黙して答えず満座粛として声を呑む、竟に仙丸を甲斐へ送るに決す。貞能 黒屋甚九郎重吉に命じ密旨を含めて伝たらしむ。重吉曰く、若し謀計成らずんば徒死に了らんのみ、留まりて一死君国に報ぜんと。貞能曰く、何ぞこれを徒死と謂わんや、戦うものはその数少きにあらず寧ろ卿一人の功を挙ぐべきなりと。重吉優旨に伏し仙丸を伴つて城を出ず。乳母某仙丸に従う、一族日近久兵衛貞友の女於つう(十三才)、一族周防勝次の男虎之助(十三才)亦随う。或は貞友の女を世子但昌の約婚者と称したりとも言う。時に元亀元年九月なり。  貞能 長谷川彌兵衛をして黒屋甚九郎重吉と兄弟を約し姓を黒屋と改め二人の幼児を養育せしむ。後年彌兵衛及び重吉の次男五左衛門共に松平下総守忠明(奥平信昌の四男)に仕えて重臣に列せらる。 (つづく) ********  注)これまでの記事は〈タグ「作手村誌」〉で  注2)本誌の本文内で、小文字や2行表記等されているものを、( )で示している。 【関連】   ◇NIKKEI 全国 社歌コンテスト日本経済新聞)   ◇日経社歌コンテストYouTubeチャンネル)   ◇枚方市 ウェルカムページ     ◇「この街が好き」 盆踊りバージョン 〜みんなの笑顔に会いに行く〜YouTube hirakatacity)

協議会。 3-1.10 「奥平貞能(1)」 (作手村誌)

桜0317。 天気のよい日でした。  書籍と資料を見に、他市の図書館を訪れました。館内が広いこともありますが、書架の配置や椅子、衝立(目隠し)などの配置が工夫されており、心地よい空間です。  ゆったりと読書することができました。  今夜、第3回作手地区学校運営協議会が予定されています。  本年度の園・小・中学校の活動が報告され、今後の予定や計画を検討し、意見交換があります。  『作手村』(1960・昭和35年発行)は、「第一編 郷土と自然」から「第二編 村の沿革と歴史」へと続きます。  昨年の大河ドラマ鎌倉時代、そして今年は徳川家康を描いています。  『作手村』(1960・昭和35年発行)から「諸豪族勃興時代」の奥平氏についの紹介です。 ********     第二編 村の沿革と歴史     人物 奥平氏   奥 平 貞 能  貞勝の長子定能、後貞能、小字仙千代、九八郎、監物、官従四位、美作守。第百五代後奈良天皇の天文六年四月八日作手亀山城に生る。第百六代正親町天皇の永祿三年五月十日、今川義元駿、遠、三の兵四万五千を率いて駿府(今の静岡)を発し織田信長尾張に撃たんとす。十七日三河国池理鮒に至る。徳川家康岡崎より加わりて先鋒たり。貞能今川氏の命により家康の軍に従う。十八日丸根城(城将佐久間大学助盛重)に向う。十九日城兵門を開きて突出す、山家三方衆に向いて挑戦し来る。田峯、長篠勢退却す。貞能奥平の士卒を励まし一族老臣以下奮戦す。城将盛重火砲に中りて殪れ、余衆死傷遁逃して城全く陥る。家康貞能の殊功を激賞し、更に七族久兵衛貞友、出雲貞信、与衛門勝正、周防勝次、治左衛門勝吉、右衛門義次、土佐定雄。五老 山崎善兵衛重宗、生田玄蕃(兄市蔵の代理)、兵藤新左衛門勝末、黒谷甚兵衛重氏、及び夏目五郎左衛門治員(老臣並)を引見しその功を労いて田原鏃(田原鏃は渥美郡田原住、鍛冶の名入竹五郎八の作るところ) 世にこれを田原鏃として賞美す)各五十本を給う。  永祿四年十月菅沼刑部貞吉島田城によりて徳川氏に声援す、貞能兵を率い自ら陣頭に立つて指揮す、士卒大いに奮うて敵兵を走らす。この戦、助次郎包久(貞昌の弟貞包の子)黒谷半六と相討になり、兵藤五郎太夫首級を得たり、その他斬獲多し。永録七年春徳川氏の招請に応じ一族を挙げて今川氏を離る。永録八年貞能の弟源五衛門常勝、武田信玄を慕うて甲斐国へ奔る。生田玄蕃之を刺さんとして追躡す、途に大雪に遭うて死す。永録十年美作守に任ぜらる。 貞能0317。 第百六代正親町天皇の元亀元年三月、織田信長越前の朝倉義景を討伐、徳川家康これを援け、三遠の兵八千を率いて浜松を発す。貞能軍に従いて越前敦賀に赴く、功あり、元亀元年六月、貞能世嗣信昌を伴い酒井氏の部下にあり、八百人を提げ榊原康政等と姉川を渡り朝倉勢に当り奮戦す。 (つづく) ********  注)これまでの記事は〈タグ「作手村誌」〉で  注2)本誌の本文内で、小文字や2行表記等されているものを、( )で示している。 【メモ;職員の異動検索】  中日新聞東京新聞に「教職員・公務員の異動」が掲載されるのに合わせ、ネット検索できます。  すでに発表された県や市の異動が調べられます。
名簿検索2023。

2-1.6 みかんをめぐる授業 (昭和に生きる)

抹茶0316。 天気のよい一日でした。  故・渥美利夫氏が還暦の年に著した『昭和に生きる』(1987(昭和62)年刊)からです。  渥美氏の教育実践、教育論は、“昔の話”ですが、その“”そして“”となるものは、今の教育に活きるものです。これからの教育を創っていくヒントもあると思います。  本書のなかから、“その時”に読んで学んだ校長室通信を中心に紹介していきます。「考える」ことが、若い先生に見つかるといいなあと思います。  この項は、先日(3/3) 2-1.5の次でしたが掲載を飛ばしてしまっていました。 ********     戦後教育史の片隅に生きる     青年教師時代   みかんをめぐる授業  昭和三十四年のお正月休み、上田先生のお宅にお邪魔にあがっていた。たぶんまだ名古屋の新瑞橋にお住いのころであったと思う。いつものように初志の会のこと、社会科のこと、学級のことなどに話がはずんでいたときのことである。先生があまりにも突然、道徳の指導のことをありのまま書くようにとおっしやったのである。  当時、「道徳の特設時間」をめぐって、教育界は騒然としていた。おそらく、これを“考える子ども”に載せて論争をしようと企ててみえると直感した。それだけに期待にそえる実践記録が出せるのか、まったく自信がなかっただけに、これはえらいことになったと思いながらお宅を辞したことを今も鮮明に憶えている。  一年生を担任していたので、二学期の実践「みかんをめぐる問題」−一年生の道徳特設の時間− を苦心惨憺のすえ原稿用紙十八枚にまとめて先生のところへお届けした。上田先生のねらいは、平凡なわたしの実践をもって特設時間に挑戦することにあったにちがいない。はたせるかな雑誌“考える子ども”の四号(三十四年四月)にでかでかと載ったし、批判感想を書かれた先生方も全国レペルのメンバーにびっくり仰天した。「解説にかえて」の解説を書いてくださった上田先生につづいて、伊藤昇(朝日新聞論説委員)、浜田陽太郎(東京教育大学)、岡野啓(香川大付属坂出小)、木川達弥(東京都指導主事)、矢口新(国立教育研究所)、大野連太郎(国立教育研究所)、飯田芳郎(文部省中等教育課)、込谷雄(東京・業平小)、長岡文雄(奈良女子大付属小)、佐藤克己(東京・石神井小)、大村栄(宮城県教育研究所)、白岩善雄(奈良・帝塚山小)の十余人の学者、実践者が批判・検討に参加している。ここに詳しく述べる余裕はないが、この雑誌の試みが大きな波紋を教育界に投げかけたことはたしかなことであった。  多くの方々が好意的な発言をされていたことは、うれしいことだった。しかし、例外として酷評なされた先生がそのなかにいた。その名は飯田芳郎先生である。わたしにとっては岡崎の師範学校のとき教育学を教えていただいた恩師である。文部省の中等教育課の道徳担当の教科調査官で、特設道徳推進の責任者とすれば、批判の先頭にたたれるのはあたりまえのことといってよかろう。批判は当たるべからざる勢いである。「筆者はかってに自分が描いた『文部省のねらう特設の時間』なる幻像に対して、ひとりで力んでいる感がある。『文部省のねらい』というぐらいなら、当然に文部省の出した道徳指導書の示すところぐらいはひととおり理解しているべきなのに、それだけの努力を払おうとはせず……」といい、続けて「根拠とすべき『道徳の時間』観そのものがゆがんでいるのだから、その結果がゆがんでくるのは当然である。この報告書の前半の実践報告と付記された筆者の主張との間にじゅうぶんな論理的つながりが認められないというのも、根本原因はこのような筆者の態度からきているといってよい……」と、いわれる。そして返す刀で「最後に筆者の社会科そのものに対する理解も不確かである。……」と一刀両断である。 考える0316。 さすがに“学校時代にも勉強していなかった”とは、いわれなかったが、勉強不足もはなはだしく、幻影におびえているのではないかとの指摘であった。読んで少し頭にきたので、失礼をかえりみず“考える子ども”七号(三十四年九月)に、「道徳の時間をこう受けとめる」という反論をかなり強い調子で書いたが、それはそれなりということで論争には発展しなかった。飯田芳郎先生とわたしとの関係は静かな日々が続くかにみえた。  東郷東小学校の十年間の生活──それはわたしにとって三十才をはさんでの十年間であった。生涯の師、人生の師とでもいうべき上田薫先生との出会い、子どもたちとともに苦しんだ社会科指導を核とする学校生活、そこではあいまいなわたしの教育理論は通用しなくて、だんだんととぎすまされる楽しい研鑽の日々でもあった。大げさと人は言うかもしれないが、教師としての生き方、それにものの見方、考え方の骨格が、ほぼこの時代にでき上がったといってよい。その意味においてわたしを育ててくれた学校という気がしてならないのである。まことにささやかではあったが、自分の考えをつくりあげていった刻々の思い出のなかにうかぶ人たちに、いま改めて謝意を表したいと思う。 ********  注)これまでの記事は〈タグ「昭和に生きる」〉で  注2)掲載しているイラストは、学年通信(1993・1994年度)用に教員が描いたもので、図書との関連はありません。

開花。 3-1.4 富山市立堀川小学校の参観(4) (昭和に生きる)

開花0315。 曇りましたが、暖かい日が続いています。  昨日、「気象庁が、東京都心部で桜(ソメイヨシノ)が開花したと発表した」とニュースになっていました。  当地のソメイヨシノも開花していました。  また、先週末には花芽も見られなかったミズマショウ水芭蕉)も、白い花(苞・仏炎苞)が見られるようになっています。  がやってきました。  故・渥美利夫氏が還暦の年に著した『昭和に生きる』(1987(昭和62)年刊)からです。  渥美氏の教育実践、教育論は、“昔の話”ですが、その“”そして“”となるものは、今の教育に活きるものです。これからの教育を創っていくヒントもあると思います。  本書のなかから、“その時”に読んで学んだ校長室通信を中心に紹介していきます。「考える」ことが、若い先生に見つかるといいなあと思います。  この項は、「昭和42年『考える子ども』56号」から構成されています。 ********     戦後教育史の片隅に生きる     教育行政の歯車のなかで   富山市立堀川小学校の参観 <4>  どのようにしてひとりひとりの子どもの思考の動きをとらえ、育てるかということに研究が集中され、授業の具体から問題をみつけ、その解決にあたり“授業創造の過程 ─教育内容の革新をめざして─”の第三冊目を明治図書から世に問うた。  表題をみてだれもが気づかれるように“授業の研究”と“授業の改造”のときは、サブ・タイトルが「子どもの思考を育てるために」と同じであったものが、こんどの“授業創造の過程”では、「教育内容の革新をめざして」と変わっているのである。  過去十余年にわたって授業の分析の研究によって“子どもの主体的な追究”のすがた、あり方をもとめてきたものから、授業構造化の三要因の一つである“教材のはたらき”について究明をおしすすめたのである。すなわち、教育内容の革新をめざして“子どもの主体的な追究と教材内容の統一をいかにはかるか”を命題にしたのである。(以下著書についてふれているので中略)  授業分析をとおしての教材研究は、たしかに従来の教材研究のあり方とちがった方向をさししめし、教材研究という困難に敢然とたち向かった足跡は貴重であるといわなければならない。子どもや授業不在の教材研究になるおそれは少ないが、しかしこの十余年の歩みにおいて“授業創造の過程”を契機に進路方向がズレたのではないかという批判があることは、注目すべきことといえよう。 カット0315。 島根大学の日比氏は「教材観が、教材と子どもを同次元でとらえようとする二元論的な考え方、さらにいえば、むしろ子どもを教材へくみ入れていく立場から“授業創造の過程”では、逆の意味の一元論的な考え方が強くなっている」と、“授業分析の基礎理論”(明治図書)で指摘し、さらに教材研究の問題点として、  1 “子どもと教材の統一”にみられる矛盾 (説明略)  2 教材構造論における技術主義 (説明略) をあげている。  この日比氏の批判を中心にいろいろ尋ねたのであるが、結論的にはいろいろ誤解をうけているところもあるようで、これは表現がうまくできなかったところにも一因があるだろうといい、批判は批判として受け入れて検討したいと語っていた。そして現在当面している学校の課題としては、  1 問題の発掘の過程をとらえることと、教材に対する初発と持続に焦点を向けたい。  2 問題を感ずるのであるが、具体的に動き出すのがどうも弱い。これをどう強化したらよいか。  3 教材とは、どういう条件がそろえばよいのか、はっきりさせたい。  4 根底にある問題は、目標をどうおさえるかということで、層という考え方でとらえたいと考えている。 などがあるという。  もうすっかり刈りとりのすんだ北陸路を車窓から眺めながら、わたしは、ふとどこかのあの“試案”という文宇が表紙から姿を消したのを境に、内容が急転回していったことを思い出して、“授業創造の過程”のサブ・タイトルのことがかすかながら脳裏をよぎったことはたしかであった。  (昭和四十二年「考える子ども」五六号) ********  注)これまでの記事は〈タグ「昭和に生きる」〉で  注2)掲載しているイラストは、学年通信(1993・1994年度)用に教員が描いたもので、図書との関連はありません。 【メモ】  中日新聞東京新聞に「教職員・公務員の異動」が掲載されるのに合わせ、ネット検索できます。
名簿検索0315。

円周率の日。 3-1.3 富山市立堀川小学校の参観(3) (昭和に生きる)

梅0314。 天気のよい一日でした。  今日、「午前1時59分」「午後3時9分」に、何をしていましたか。  「何を聞いているの?」と言われそうですが、何か気づきますか。  今日3月14日の数字に続けると、円周率の小数表記の上6桁に一致します。  3.1415926535 8979323846 …  今日は「数学の日円周率の日)」(日本数学検定協会制定)です。また、国際連合教育科学文化機関(UNESCO)が、「数学の美しさと大切さ、すべての人の生活における重要な役割を担っている」ことを祝うため、「国際数学の日(International Day of Mathematics (IDM))」として宣言しています。   ◇International Day of Mathematics
円周率0314。
 さらに、「円周率の日」と制定されている日が、今日(3月14日)の他に「7月22日」「12月21日」もあります。その理由はお分かりでしょうか。  今日、円周率を意識する日でしたか。  故・渥美利夫氏が還暦の年に著した『昭和に生きる』(1987(昭和62)年刊)からです。  渥美氏の教育実践、教育論は、“昔の話”ですが、その“”そして“”となるものは、今の教育に活きるものです。これからの教育を創っていくヒントもあると思います。  本書のなかから、“その時”に読んで学んだ校長室通信を中心に紹介していきます。「考える」ことが、若い先生に見つかるといいなあと思います。  この項は、「昭和42年『考える子ども』56号」から構成されています。 ********     戦後教育史の片隅に生きる     教育行政の歯車のなかで   富山市立堀川小学校の参観 <3>  つづいて昭和三十七年“授業の改造 ─子どもの思想を育てるために─”が明治図書から出版された。  子どもを見つめることから出発し、授業の具体から問題を見つけて、その解決にあたろうとする研究の立場は、ひきつがれている。研究は具体的な累積の上に立たなければならないことが強調され、子どもの思考発展の究明という観点からその子どもの教科内の思考のしかたのかさね合わせの上でとらえられなくてはならないと考え、そのかさね合わせの観点を見出そうと努力をした。こうした努力のなかから、授業の分析の視点や方法が“授業の流れ”における発展の契機や、タイミングからとりあげられる共同問題や、追究の方向が課題となり“問題追究の視点の吟味”に向けられ改善された。 黒板0314。 また、子どもの追究過程における重要な結節点を導き出し、授業条件を究明し、授業の改造をすすめたのである。この“学習指導過程における四つの節”と、四つの節をつらぬいて働き、授業を生き生きとした内容の充実したものにする条件(授業の姿勢を正す条件)として四つあげ、授業の改善点を明らかにした。この一連の研究は、教育界から高く評価がなされていることは、とくとご承知のことだろうと思う。(以下略) (つづく) ********  注)これまでの記事は〈タグ「昭和に生きる」〉で  注2)掲載しているイラストは、学年通信(1993・1994年度)用に教員が描いたもので、図書との関連はありません。 【関連】   ◇International Day of Mathematics   ◇International Day of Mathematics(UNESCO)   ◇「3.14159265…」。数学の日。(2020/03/14 集団「Emication」)