集団「Emication」別館

楽しく学び,楽しく活動する,笑顔の集団「Emication」。 ふるさとの自然,歴史,風俗などお伝えします。読書や豆知識の発信もしていきます。 活動する人,行動する人,その応援と支援をする集団「Emication」。

開花。 3-1.4 富山市立堀川小学校の参観(4) (昭和に生きる)

開花0315。 曇りましたが、暖かい日が続いています。  昨日、「気象庁が、東京都心部で桜(ソメイヨシノ)が開花したと発表した」とニュースになっていました。  当地のソメイヨシノも開花していました。  また、先週末には花芽も見られなかったミズマショウ水芭蕉)も、白い花(苞・仏炎苞)が見られるようになっています。  がやってきました。  故・渥美利夫氏が還暦の年に著した『昭和に生きる』(1987(昭和62)年刊)からです。  渥美氏の教育実践、教育論は、“昔の話”ですが、その“”そして“”となるものは、今の教育に活きるものです。これからの教育を創っていくヒントもあると思います。  本書のなかから、“その時”に読んで学んだ校長室通信を中心に紹介していきます。「考える」ことが、若い先生に見つかるといいなあと思います。  この項は、「昭和42年『考える子ども』56号」から構成されています。 ********     戦後教育史の片隅に生きる     教育行政の歯車のなかで   富山市立堀川小学校の参観 <4>  どのようにしてひとりひとりの子どもの思考の動きをとらえ、育てるかということに研究が集中され、授業の具体から問題をみつけ、その解決にあたり“授業創造の過程 ─教育内容の革新をめざして─”の第三冊目を明治図書から世に問うた。  表題をみてだれもが気づかれるように“授業の研究”と“授業の改造”のときは、サブ・タイトルが「子どもの思考を育てるために」と同じであったものが、こんどの“授業創造の過程”では、「教育内容の革新をめざして」と変わっているのである。  過去十余年にわたって授業の分析の研究によって“子どもの主体的な追究”のすがた、あり方をもとめてきたものから、授業構造化の三要因の一つである“教材のはたらき”について究明をおしすすめたのである。すなわち、教育内容の革新をめざして“子どもの主体的な追究と教材内容の統一をいかにはかるか”を命題にしたのである。(以下著書についてふれているので中略)  授業分析をとおしての教材研究は、たしかに従来の教材研究のあり方とちがった方向をさししめし、教材研究という困難に敢然とたち向かった足跡は貴重であるといわなければならない。子どもや授業不在の教材研究になるおそれは少ないが、しかしこの十余年の歩みにおいて“授業創造の過程”を契機に進路方向がズレたのではないかという批判があることは、注目すべきことといえよう。 カット0315。 島根大学の日比氏は「教材観が、教材と子どもを同次元でとらえようとする二元論的な考え方、さらにいえば、むしろ子どもを教材へくみ入れていく立場から“授業創造の過程”では、逆の意味の一元論的な考え方が強くなっている」と、“授業分析の基礎理論”(明治図書)で指摘し、さらに教材研究の問題点として、  1 “子どもと教材の統一”にみられる矛盾 (説明略)  2 教材構造論における技術主義 (説明略) をあげている。  この日比氏の批判を中心にいろいろ尋ねたのであるが、結論的にはいろいろ誤解をうけているところもあるようで、これは表現がうまくできなかったところにも一因があるだろうといい、批判は批判として受け入れて検討したいと語っていた。そして現在当面している学校の課題としては、  1 問題の発掘の過程をとらえることと、教材に対する初発と持続に焦点を向けたい。  2 問題を感ずるのであるが、具体的に動き出すのがどうも弱い。これをどう強化したらよいか。  3 教材とは、どういう条件がそろえばよいのか、はっきりさせたい。  4 根底にある問題は、目標をどうおさえるかということで、層という考え方でとらえたいと考えている。 などがあるという。  もうすっかり刈りとりのすんだ北陸路を車窓から眺めながら、わたしは、ふとどこかのあの“試案”という文宇が表紙から姿を消したのを境に、内容が急転回していったことを思い出して、“授業創造の過程”のサブ・タイトルのことがかすかながら脳裏をよぎったことはたしかであった。  (昭和四十二年「考える子ども」五六号) ********  注)これまでの記事は〈タグ「昭和に生きる」〉で  注2)掲載しているイラストは、学年通信(1993・1994年度)用に教員が描いたもので、図書との関連はありません。 【メモ】  中日新聞東京新聞に「教職員・公務員の異動」が掲載されるのに合わせ、ネット検索できます。
名簿検索0315。