集団「Emication」別館

楽しく学び,楽しく活動する,笑顔の集団「Emication」。 ふるさとの自然,歴史,風俗などお伝えします。読書や豆知識の発信もしていきます。 活動する人,行動する人,その応援と支援をする集団「Emication」。

『小説「安楽死特区」』(長尾和宏・著)

水芭蕉園0402。 天気のよい日が続いていますが、今日は曇り空で午後には小雨の降る天候になりました。  今日、他から頼まれた“初めてのこと”を体験しました。○○に大切なことと思いますが、なかなかハードでした。  次に頼まれたら…。  “少子高齢化”が進み、昨年(2022年)に生まれた子供が80万人を割ったとのニュースがありました。  岸田首相が「異次元の少子化対策」を訴えており、その実現への具体は…。  高齢化社会は「人生100年時代」となり、新しいことに挑戦する、人生を長く楽しめるなど、わくわくしている方もみえるでしょう。  その一方、健康寿命は長くない、生きがいがないなど、不安を持つ方も少なくありません。  そした中に、「いつまで生きればいいの…」「もう生きていたくない…」と、自分で“死を選ぶ”ことを望む方がいるかもしれません。  2024年東京オリンピック失敗後の大不況の中、都内に「安楽死特区」ができ、それを巡るできごとを描いた『小説「安楽死特区」』(ブックマン社・刊)です。  表紙を開き、カバーのそでに次の文章が書かれています。
まだここだけの話、ということで〈安楽死特区〉構想についてざっくり説明しますね。国家は、安楽死法案を通そうと目論んでますよ。なぜなら、社会保障費で国が潰れそうだからです。しかし国民皆保険はどうしても維持したい。それならば、長生きしたくない人に死んでもらったほうがいい、そう考えています。
 ここだけの話をしているのは、誰だろう。  この話を、誰に向けて話しているのだろう。  最初に登場するのは、〈平成を彩った女流作家〉の一人 澤井真子です。
「あの、先生」 「どうしたの? 忘れ物?」 「澤井先生、その質問、今日これで5回目です」
 次に登場する心臓外科医 尾形紘は、講演の後で問いかけられます。
「終末期、つまり死ぬまで、もはや自分の心臓が完全に停止しているのに、補助人工心臓と人工呼吸器と胃ろう栄養だけで生かしておくのが、最新の医療だとお考えですか。(略) 電気が繋がっている限り、生き続けるわけ?」
   どのような人が安楽死を望むのか…。  安楽死特区へ誰が入る(移る)のか…。  どのような方法で安楽死するのか…。  安楽死第1号には誰が…。
 死にたい、と願うのはエゴですか?生きていて、と望むのは愛ですか?  このごろ、「早く日本でも安楽死を認めてほしい」という人が増えた。 その先にどんな未来が待ち受けているのか、書きたかった。  2024年、日本で「安楽死法案」が可決した。東京オリンピックが終わり、疲弊してゆくわが国で、病を抱え死を願う男と女が、国家の罠に堕ちてゆく・・・。  『平穏死10の条件』『痛くない死に方』他、終末期に関する多くのベストセラーを出している著者が、渾身の想いで書き下ろした初の本格医療小説!
 あなたは、〈リビングウイル〉を書いていますか。  あなたは、安楽死尊厳死)を受け入れ(認め)ますか。  あなたは、安楽死尊厳死)を選択しますか。  命と生を考えさせられました。
   扉から(目次) 2024年 〜無の明るい夜のために〜 女流作家、 澤井真子 心臓外科医、 尾形紘 女流作家、 澤井真子 心臓外科医、 尾形紘 旅行写真家、 岡藤歩 心臓外科医、 尾形紘 女流作家、 澤井真子 歌舞伎町の熟年ホスト、 鯨井正平 旅行写真家、 岡藤歩 女流作家、 澤井真子 エピローグ
【関連】   ◇長尾和宏 (@dr_nagao)Twitter)   ◇公益財団法人日本尊厳死協会   ◇話をしていますか?(ACP,人生会議,リビング・ウィル…)(2019/12/30 集団「Emication」) 【メモ】   ◇画像「木造 宝誌和尚立像」

『諦念後』(小田嶋隆・著)

花0401。 晴れて暖かい日でした。  今日は、「エイプリルフール」(Twitter)でしたが、何か「クスっ」とすることがありましたか。  コラムニスト 小田嶋隆氏をご存知ですか。  鋭く政治や社会を評論する方で、その言葉、文章に刺激を受けてきました。  同年代の方で、勝手に感覚が似ていると思い、10年間続くTBSラジオ・赤江珠緒たまむすび「週刊ニッポンの空気」を聞いて身近に感じていました。  病気のため、昨年(2022年)6月に亡くなられ、もう“オダジマ節”を聞くことができません。惜しまれます。  小田嶋氏が亡くなられた後、数冊の著作が発刊されています。 その中の一冊『諦念後──男の老後の大問題』(亜紀書房・刊)は、集英社の冊子『青春と読書』の連載コラムをまとめたものです。  それまでの論評・批評とは違い、“60歳以降の「定年後=諦念後”の行動と思いを綴ったエッセイです。
 《ジジイだって、歳を取るのは初めての経験なのだ。許してあげてほしい。》  男の「定年」は「諦念」なのか?  還暦を過ぎた男の気分や期待や虚栄や子供っぽさをオダジマ節で軽快につづったコラム集。  「人生で前向きだったことなどは一瞬もない。加えて、人生で継続したことはアルコール依存くらい」  齢60にして、そばを打ったり、ギターに再挑戦したり、ジムに通って逆三の体を手に入れようとしたり、体当たりの取材をこなす……。はたして新しい境地は?  定年後の男の身の持っていき場所、ヒマのつぶし方、諦念と満足などを軽やかに綴るコラム集。
 連載にあたって、これまでの“アームチュアな仕事ぶり”とは別のものになることについて、最初の項で次のように述べています。
 具体的に言えば、これまで私がコラムニストとしてモットーとしてきた「取材をしない」「文献を読まない」という2つの原則を捨てなければならないということだ。(略)  当欄の仕事ではその伝来の手法をあえて捨てて、遅ればせながら「体当たりの取材」という、書き手の初心にして基本に立ち返ってみることにした次第だ。  理由は、私にとって、本稿のテーマである「老年」がはじめての経験であり、それをいまだに内面化しきれていないからだ。(略)
 小田嶋氏が、「老年」「諦念後(定年後)」の暮らしに“体当たり”していく様子、それを“取材”し、言葉で表されたものは、メモしておきたいものに溢れています。
諦念後0401。
 「トシを取る」ということ、「諦念してしたこと」に、あなたを重ね、オダジマさんと語り合ってみませんか。  オダジマさんの“次のコトバを聞きたく(読みたく)なった一冊です。  読書メモから、少しだけ(?)。
○ 還暦を過ぎてからこっち、こんなふうに無邪気にひとつの動作に熱中したことがあっただろうか。ありゃしない。 ○ では、弾けるようになった男たちは、どうしてFのコードを克服することができたのであろうか。  答えは「孤独」と「鬱屈」だ。 ○ 奇妙な前置きを長々と書いているのは、今回の挑戦を前に 「継続は力なり」 という最初に思いついてしまった退屈極まりないフレーズをいきなり持ち出すことがためらわれたからだ。 ○ 当日の開会式は、儀式の要諦である、  1.偉い人の顔をたてておく。  2.けじめっぽい演出をほどこしておく。 という2つのミッションを見事にクリアしていた。 ○ そういう場所にのこのこ顔を出しておいて、いまさらこんなことを書いている私の言いざまも、ユダ的というのか、実に美しくない。 ○ その上であえて言うが、誰ひとり身を持ち崩さない娯楽に何の意味があるという気もする。平和な老後など狙ってどうする? ○ 加齢のもたらす変化のひとつに、若い頃冷淡だった対象に関心を抱きはじめるということがある。 ○ 諦念者にとって、ツイッターはたしかにハードルの高い世界だ。が、最初のハードルを乗り越えてしまえば、その先にはのんべんだらりとした無駄話の天国が待っている。 ○ 勘違いしてはいけない働き方改革は、一羽のニワトリに何個の卵を産ませるのかというタイプのお話だ。ニワトリの人生やニワトリの幸福についての話題ではない。  こんな話にうっかりひっかかってはいけない。
   目次 1 定年後のオヤジたちは、なぜ「そば打ち」をするのか? 2 定年男はギターを買ってみた。非モテだったせい青春時代を取り戻すために。 3 逆三角形の体の自分になりたくて、スポーツジムに通ってみた。 4 過去を清算しようと思って、「断捨離」をしてみた。 5 立派な死に方だったと言われたくて、「終活」をしてみた。 6 卒業後40年を経て、同窓会に出席してみた。 7 ひまつぶしのために麻雀を打ってみた。 8 職人を志して、鎌倉彫をやってみた。 9 しがらみから逃れられなくて選挙に出てみる。 10 植物の魅力に目覚め、盆栽をはじめてみた。 11 バカな虚栄心とわかりつつ、大学講師をやってみた。 12 自分は永遠に健康だと思っていたら、脳梗塞で入院してしまいました。 13 実りある無駄話をするためにSNSをやってみた。 14 定年後、何歳まで働けばいいか考えてみた。 15 「がん」での死に方に思いを巡らせてみた。 あとがきにかえて  小田嶋美香子
【関連】   ◇小田嶋隆 (@tako_ashi)Twitter)   ◇小田嶋隆Wikipedia)   ◇小林マキ (@ikam1225)Twitter)   ◇コラムニスト・小田嶋隆さん、ありがとうございました。(2022/06/27 TBSラジオ赤江珠緒たまむすび)   ◇コラムニスト・小田嶋隆が残した功績【追悼企画】──Vol.01:内田樹GQ JAPAN

ChatGPT…。 3-2.5 豊富小「板書する子どもたち」(2) (昭和に生きる)

卵0331。 2022(令和4)年度の最終日、雲が目立ちましたが晴れの日でした。  AIチャットボットが世間(?)で話題になっており、政治の世界でも
 岸田文雄首相は29日の衆院内閣委員会で、米オープンAIの「ChatGPT(チャットGPT)」を使って作成した質問に答えた。岸田文雄首相は国会で似たような答弁を繰り返し、質疑が深まらないと指摘されている。首相とチャットGPT、どちらの答弁が誠実だったのだろうか。
という状況になっているようです。(日本の政治は大丈夫?)  “先頭”を走るのは ChatGPT のようですが、使ったことがありますか。    ◇ChatGPT    ◇AIチャットくん    ◇Google Bard    ◇Google Socratic   ◇Bingチャットボット  この先、AIチャットボットが、どのように進歩し、生活に活かされていくでしょう。あなたは、どう思いますか。  故・渥美利夫氏が還暦の年に著した『昭和に生きる』(1987(昭和62)年刊)からです。  渥美氏の教育実践、教育論は、“昔の話”ですが、その“”そして“”となるものは、今の教育に活きるものです。これからの教育を創っていくヒントもあると思います。  本書のなかから、“その時”に読んで学んだ校長室通信を中心に紹介していきます。「考える」ことが、若い先生に見つかるといいなあと思います。  この項は、「豊富小『板書する子どもたち』に寄せて」から構成されています。 ********     戦後教育史の片隅に生きる     教育行政の歯車のなかで   豊富小「板書する子どもたち」に寄せて (つづき) (3) きびしさへの挑戦  豊富小のなかに新しく育ちつつある芽と、それに対するわたしの期待をのべてきた。それは豊富小の前進のための足がかりそのものであるといってよいであろう。しかし、わたしは歩んできた道が、実践の検討というもののなかから創り出すという現場研究の本道であるだけに、今後もさらにこの道をまっしぐらにつきすすんでいただきたいことを念願すれば、それでことたりるのである。それはきびしいいばらの道であろう。けれども現場研究のきびしさに挑戦する力を十分に蓄えられていると思うがゆえに、豊富小の今後の成果を期待し、注目させていただきたいと思っているのである。 図形 ここで角度をかえ、つぎのような視点からもメスを加えられたらどうかということを簡単に述べてみたいと思う。それが前進へのひとつのステップになればと考えて。
? ひとりひとりの問題をだいじにしながら、それを学級の共通の問題にねりあげていくいき方と、そのとき、集団の問題と個の問題はどのようにかかわるのか。この点への究明は“問題”をだいじにし、ひとりひとりをだいじにすることと基本的に深くかかわることだと思うからである。 ? 授業記録とその検討に、さらに幅と厚みを加えるようにしたらどうかということである。子どもをさらに鋭く深くとらえるために、たとえば授業のある部分を集中的に多角的に追いかける方法を考えるとか、またある子どもを克明に追うことによって、その子を核として、あるいは、一時間にとどまらないで一つ単元を通して息ながく授業の研究をすすめるということなどの開拓も肝要ではないであろうか。 ? 子どもをとらえることが、その後の指導の死活をにぎっている。この子どものとらえ方について、目を向け、その方法をよりたしかなものにしていくにはどうしたらよいのか。おそらくカルテの活用ということになろうが、どのような中味をどのように位置づけていけば子どもをとらえることが可能になるのか、こんなところを正面に押し出して研究をすすめるときがきているではなかろうか。 ? 今までの研究のすすめ方と同じように自分たちに都合の悪いことに身をよせて、研究をさらにすすめていただきたいということである。
 ピントのはずれたことかもしれないが、なにかこのあたりが重要なことのように思われるのである。  (昭和四十九年「板書する子ども」明治図書
********  注)これまでの記事は〈タグ「昭和に生きる」〉で  注2)掲載しているイラストは、学年通信(1993・1994年度)用に教員が描いたもので、図書との関連はありません。

3-2.4 豊富小「板書する子どもたち」(1) (昭和に生きる)

春0330。 天気のよい日でした。  用事があって出かけました。いつもより早い“桜の便り”が伝わっており、今日もさまざまな花、桜が見られました。  「マスクの着用は個人の判断で…」となって半月立ちますが、店舗など建物の中では、ほとんどの人がマスクを着けていました。  3年前(2020/03/30)の記事は、訃報を伝えています。
 新型コロナウイルス感染が伝えられていたタレントの志村けんさんの訃報が伝えられました。  新型コロナウイルス感染への予防や活動の自粛について,多くの方に“強く訴えるもの”のあるニュースだと思います。  ご冥福をお祈りします。
 “あの頃”に戻ることなく、先へ進む“わたしの暮らし”を創っていきたいものです。  故・渥美利夫氏が還暦の年に著した『昭和に生きる』(1987(昭和62)年刊)からです。  渥美氏の教育実践、教育論は、“昔の話”ですが、その“”そして“”となるものは、今の教育に活きるものです。これからの教育を創っていくヒントもあると思います。  本書のなかから、“その時”に読んで学んだ校長室通信を中心に紹介していきます。「考える」ことが、若い先生に見つかるといいなあと思います。  この項は、「豊富小『板書する子どもたち』に寄せて」から構成されています。 ********     戦後教育史の片隅に生きる     教育行政の歯車のなかで   豊富小「板書する子どもたち」に寄せて
 額田郡豊富小学校は、重松鷹泰先生指導のもと“板書する子どもたち─自主学習への過程─”を昭和四十九年十月、明治図書から出版した。重松先生からのお話によりわたしも第三章「あすへの力」の中の「二 残されたもの (2) 実践の検討を核にして」を書くことになった。  教頭の香村弘さんが家にきて、その前で書かなければならない破目になって、なにか流行作家なみのふんいきのなかで、一日机に向かって書いた。夏の暑い夕方、やっと書き終えて香村先生に原稿を渡して、二人で飲んだビールの味は、また格別であった。つぎはそのときのものである。
 三河の山間部の静かな土地の小規模校、豊富小に、重松鷹泰先生、小笠原ミち雄先生のおともをして初めて訪れたのは、たしか昭和四十六年の秋の研究会のことであった。  豊富の子どもたちの授業をみせていただいて、ここでは“ほんものの教育”が行なわれているな、と肌で感じた強烈な印象は、わたしの脳裏から離れないのである。以来いくたびか豊富小にお邪魔する機会に恵まれたのは、しあわせなことであった。  先生方は、精細な授業記録をつくっては、ほんとうにそれをかみしめるように、ていねいに分析をし、そこに自分たち教師のあるがままの姿を、そしてまた子どもたちの動きの変化のようすを追いかけ、その話し合いのなかで、素朴な自分たちのことばや思想をつくりだされているのである。 給食0329。 わざわざ好きこのんで、このめんどうなしごとに取り組んでいるのではなかろう。教育というものを、子どもというものを、本格的に問題にしようとすれば、それは当然授業から離れた現場の教育研究などはありえないという洞察が、あえてこの苦難の道を歩ませたにちがいない。  研究の過程において、いくたびかともに語らいつつも、微力にしてついになにものをも加えるものがなかったことを、ほんとうに申し訳なく思っているのである。  加えるなにものもなかったがゆえに、研究の成果をまとめるにあたって、学校が今後に残す課題はなんであるのか、指摘するように要求されたのである。しかしこれとて到底、わたしに背負えるものではなさそうである。けれどもその大役は引きうけなければならない破目に陥ってしまった。見当はずれのことが多いと思うが、前進のためのたたき台となればと願いながら、ここに私見を述べてみたいと思う。  (1) 追及の姿勢   (略す)  (2) 新しい芽への期待   (略す)   ・自分にもどす力   ・授業の強さ (つづく) ********  注)これまでの記事は〈タグ「昭和に生きる」〉で  注2)掲載しているイラストは、学年通信(1993・1994年度)用に教員が描いたもので、図書との関連はありません。 【メモ;職員の異動検索】  今日、愛知県・名古屋市の教職員の異動が新聞に掲載されました。  中日新聞東京新聞に「教職員・公務員の異動」が掲載されるのに合わせ、ネット検索(先生サーチ・公務員サーチ)ができます。  新聞では、「新しい勤務先(新任)」で掲載されており、「お世話になった○○先生は…」と探しても、異動先がなかなか見つかりません。  ネット検索(先生サーチ・公務員サーチ)では、「旧勤務先現在の学校)」で検索すると、その学校から異動される方が一覧できます。
名簿検索2023。

『不思議の国 ニッポン』(ヤマザキマリ・豊田有恒・著)

花0329。 冷え込んだ朝、そして晴れた日中は暖かくなり、寒暖差の大きな日でした。  前回の成幸読書に続いて届いた『不思議の国 ニッポン』(ビジネス社・刊)です。  前回触れませんでしたが、本と一緒に冊子『清水克衛の成幸読書』と「解説動画・音声」の案内が届きます。  冊子に「今月の成幸読書」の解説が3ページあり、その終わりに「読み合わせにおススメの本」が載っています。
  ◇実在とは何か 西田幾多郎『善の研究』講義(大熊玄・著/新泉社・刊)   ◇覚悟はよいか(朝比奈宗源・著/ごま書房新社・刊)  一冊目は、西田幾多郎の名著『善の研究』を、哲学の予備知識がなくても読めるように、一編、一編の言葉を詳しく解説した、入門講座の講義録です。「リアル、リアリティとは何か」「善とは何か」を深く考えるきっかけになります。暗い話題の多い昨今ですが、こんな今だからこそ「本当の善とは何なのか」、しっかり自分と対話してみましょう。  二冊目は、ドクスメレーベル第5弾の、復刊が実現した本です。横田管長が開眼したというこの本には、40年以上経った今も色褪せない、活きた禅の知恵がぎっしり詰まっています。ぜひ、覚悟を決めて「既知から自由になる人生」の一助としてください。  さあ、皆さん! 覚悟はよいか。「よっしゃー!
 本書は、漫画家・文筆家・画家のヤマザキマリ氏と作家・豊田有恒氏とが、それぞれの“バックボーン”から話し始め、そして“ニッポン”について語り合ったことが5章にまとめられています。  二人の話のなかで、日本は“空気”が支配し、“世間体”が圧倒的な力を持っているといると言います。  第2章で
 語彙の乏しさについていえば、語彙が乏しい方がメンタリティの負荷が減るという側面はありますね。  たとえば、56色の色鉛筆を持つ人と6色の色鉛筆を持つ人がいるとすれば、人付き合いをするうえでは6色の色鉛筆しか持たない相手のほうが頭を使う必要がなく、楽なわけです。 「萌黄色にちょっと緋色がかったみたいな色が」と表現されても、6色しかない人には理解できないわけです。(略) 56色の色鉛筆を持ち合わせている人も、あえてそのうちの6色しか使わないような暮らしを強いられるわけですが、生き延びていくためにはやむを得ないというのもあるでしょう。
と、“”へと流れていることを述べていました。  豊田氏の言葉に「それを、自分はどう考える。」と立ち止まり、ヤマザキ氏の応答に「そうなのか。」と疑問を抱いて読みました。  そして、もし二人の会話に入らせていただけたら、“ここで何を話すのか”と考えました。  二人の語り合いから「私たちの“常識”は、本当に“常識”なのか」を考えさせされ、そして“自分の考え”と“自分の行動”を創っていくことを考えた、ニッポン人にお薦めの一冊です。  読書メモより
○ ニュースや新聞は議論のきっかけであって、事実を伝えるメディアではないという考えが普通に浸透している。 ○ と同時に信用というのは、考えることを放棄した人間の統治にはもってこいの手段であるわけです。 ○ 日本人は新しもの好き(Neophlie)、外国好き(Xenophilie)ですが、一応のフィルターはあります。(略) このあたり、無防備ななりに、日本人の知恵なのでしょう。 ○ 頭を使い、他者を認めながら自分たちの価値を広めていく。それこそ、今の世の中に足りないものだと思います。 ○ 相手の言っていることに違和感を感じたら、「なぜ自分はこんなにも相手の意見を受け入れられないのか」と客観的に立ち止まって考えることも、(略) ○ 日本では法律以上に、目に見えない、文章化されてもいない世間体が圧倒的な力を持っていると感じます。 ○ 日本人の良識や常識はすごく流動的ですね。 ○ なぜ、日本にはこんなにもエンタメがあふれているのか。よくよく考えてみると、日本はそれだけストレス社会だということが理由として挙げられると思います。 ○ 自分たちが従っている習慣やルールについて納得のいくところまで考えてほしいですが、みんな面倒だからやらない。規制の法則に乗っかってるほうが楽だし、安全。 ○ 日本社会の致命的な欠点でしょうが、クリエーター、研究者など、現場で身体を張っている人の待遇も、年功序列でしか向上しない点があります。 ○ 変な喩になりますが、エノキダケというきのこがあるじゃないですか、石突から一斉に無数のきのこが生えている。あの石突を、要するに上に向ければ西洋、下に向ければ日本、みたいなイメージが思い浮かびます。
   目次 はじめに   見えない将来に対して引かれた一つの導線  ヤマザキマリ 第1章 「信じる」は美徳なのだろうか? 第2章 国境を越えるということ 第3章 日本人のバックボーン=神道多神教 第4章 宗教とエンターテインメントと政治を考える 第5章 水木しげる手塚治虫 おわりに   ヤマザキさんとイタリアを巡る奇縁  豊田有恒
【関連】   ◇ヤマザキマリ( Mari Yamazaki ) 公式 情報用アカウント (@THERMARI1)Twitter)   ◇豊田有恒【公式】(@aritsune_toyota)Twitter) ?【読書のすすめ「成幸読書」】  ☆最近紹介した本   ◇『小さき者たちの』(松村圭一郎・著)(2023/03/05)  *以前に紹介した本は (※まだ2冊目ですが…)   ◇ カテゴリー「読書のすすめ」から   ◇成幸読書選定本   ◇成幸読書頒布会お申込ページ   ◇読書のすすめ   ◇読書のすすめYouTube)   ◇読書のすすめ(@dokusume)Twitter
【メモ;職員の異動検索】  中日新聞東京新聞に「教職員・公務員の異動」が掲載されるのに合わせ、ネット検索(先生サーチ・公務員サーチ)ができます。  これまでに発表されている県・市の職員・教職員の異動が調べられます。
名簿検索2023。

発芽。 3-1.14 「奥平貞能(5)」 (作手村誌)

発芽0328。 天気のよい日でした。  例年より暖かい日が続き、花壇を耕し、今月中旬に「はるかのひまわり奇跡のひまわり)」(昨年採ったもの)を蒔きました。それが発芽しました。  昨年は4月22日に種を蒔きましたので、今年は1か月ほど早い作業でした。  この「はるかのひまわり奇跡のひまわり)」は、阪神淡路大震災の地から東北へ届けられ、その東北・「奇跡の集落」から当地に届き、代を重ねてきたものです。    ◇「奇跡の集落」と「奇跡のひまわり」(2017/06/10 集団「Emication」)  今年も大きく育って、夏に綺麗な花が咲くように世話をしていきます。  『作手村』(1960・昭和35年発行)は、「第一編 郷土と自然」から「第二編 村の沿革と歴史」へと続きます。  昨年の大河ドラマ鎌倉時代、そして今年は徳川家康を描いています。  『作手村』(1960・昭和35年発行)から「諸豪族勃興時代」の奥平氏についの紹介です。 ********     第二編 村の沿革と歴史     人物 奥平氏   奥 平 貞 能 (つづき)  小笠原、草間の二人、先を急ぎて辞せんとするや強いて引止め、幸いに湯加減よければ共に一浴とらんと自ら浴室に導き入れ、余が長湯に構いなきよう挨拶に及ばれたれば、二人は貞能に先んじて室に帰りたるに、既に杯盤の用意整いおりて慇懃なる世子信昌の相伴に遇い、日の募るるをも知らず夜に入り厚く懇情を謝して辞せり。古宮城の使再び参入し、既に夜に及びたれば質子は明旦を期して送致せられたしと言う。城内決行の時期目睫に迫れるに諸人の出入多くして混雑を極むる際、突如浜松(徳川家康)の使者来着し、早々立退かれたく援軍将に到らんとのことなるを以て、貞能直ちに家族を先発せしめ、入浴中の弟常勝(貞勝の次男)に今夜父貞勝を奉じて一同退去するの手筈を語りたるが依然として決せざれば、後事を世子信昌に託し手勢を提げて城(亀山城)を立退き、十町が程の所に至り世子信昌の来るを待てり。暫くして残留せる家臣全部を引連れ馳せ参じたる世子は常勝と懇談を重ねたるも中々承諾の気色見ざるより後刻祖父(貞勝)に従うて来会すべきを告げおきたりと。  この日貞勝は山野に狩猟し帰途須山の善福寺に休憩中、始めて一同の立退きを聞き、此の如き重大事を一回の相談もなく決行したるを痛く憤慨し、直ちに五郎左衛門常勝、助次郎定包(貞昌の弟)及び武田の兵五十余人を率いて追しようす。世子(信昌)祖父貞勝追手の内に在るを知り、士卒に対して妄りに応戦すべからずと戒む、続きて甘利晴吉の郎党四百余人亦追い来る。是に於いて長棹より鉄砲をとり出し、石筒ヶ根坂に邀へ、藤兵衛貞治(貞勝の三男)、土佐定雄(和田出雲貞盛の次男)、兵藤勝末(五老の一人)、夏目治員(五老の一人)、黒屋勝直(五老の一人)以下士卒二百余人粉骨力戦す。定次、勝直首級を挙ぐ。作手散退に際し、貞能但馬勝正(七族の一人)に命じ雑兵百余人(四〜五十名か)を以て甘利勝吉の本居古宮城後の民家に潜伏せしめ、時刻を計りて発砲すべしと、勝正、石筒ケ根坂の戦なるを按じ、本城に向つて乱射を始め附近の村里に火を放つ。追撃中の甲軍(武田勢)顧みて古宮の方面に銃声を聞き、又烟焰の天に冲するを望み変事の突発したるを慮り遽に兵を纒めて退ぎ去る。勝正此の間に乗じ間道を過ぎ、本軍に殿りして額田郡宮崎村滝山の城砦に入る。而して傍近を火して敵勢の寄せ来るを待つ。  天正元年八月二十一日、武田勢五千人潮の如く滝山城に攻め寄せ来る。城険要にありて容易く攀する能わず、城兵これを瞰下して木石を顛落し鉄砲を乱射し、而して敵の動揺するに乗じ、与兵衛定次(七族の一人)、周防勝次(七族の一人)、生田勝重(五老の一人)、夏目治定(五老の一人)以下鋒を連ねて一斉に馳け下り従横無尽に突喊捕撃す。寄手算を乱し兵具を捨て隘路を右往左往しつつ走る。逃ぐるを追つて田原坂に到り激戦すること三合、源五衛門常勝傷を被りて退き、助次郎定包又退かんとす。奥平角兵衛これを見つけ、案内者なれば殿りをなすべきに逃れんとするは卑怯なりと呼ばわれば定包引返して角兵衛に打ち掛かる。但馬勝正の郎党酒井利兵衛及び奥平彦次郎横あいより槍を揮うて出ず。定包元来大力無雙の者にして兼て剣に達す、直ちに大刀をふりかざして切り払い、勝負何れとも見えざりしかば、奥牛市左衛門小丘に駈け上り、矢一筋参らせんと弱腰を射貫し、定包忽ち顛倒す、酒井利兵衛馳せ寄りて首をきる寄手悉く破れて四散するや亦遠く追わず兵を収めて滝山へ帰る。是を「田原坂の合戦」と言う。武田方の死傷する者五百余人。貞能、奥平市左衛門の功を賞して、定包の故邑佐脇を賜い、奥平角兵衛の勇を壮として覚兵衛と改めしむ。 (つづく) ********  注)これまでの記事は〈タグ「作手村誌」〉で 【メモ;職員の異動検索】  中日新聞東京新聞に「教職員・公務員の異動」が掲載されるのに合わせ、ネット検索(先生サーチ・公務員サーチ)ができます。  これまでに発表されている県・市の職員・教職員の異動が調べられます。
名簿検索2023。

3-1.13 「奥平貞能(4)」 (作手村誌)

水芭蕉0327。 天気は回復しましたが、気温が低く肌寒い一日でした。  『作手村』(1960・昭和35年発行)は、「第一編 郷土と自然」から「第二編 村の沿革と歴史」へと続きます。  昨年の大河ドラマ鎌倉時代、そして今年は徳川家康を描いています。  『作手村』(1960・昭和35年発行)から「諸豪族勃興時代」の奥平氏についの紹介です。 ********     第二編 村の沿革と歴史     人物 奥平氏   奥 平 貞 能 (つづき)  天正元年八月二十日武田典廐使を馳せて貞能を黒瀬の陣営へ招く、貞能即ち奥平市左衛門、奥平六兵衛、黒屋禰兵衛等十余人を従えて到る。城所道寿及び典廐の老臣小池五郎左衛門迎えて曰く、卿近日浜松の徳川家へ内応の噂あるに係らず速かに来営したるは神妙なりと。貞能曰く、乱世にありては親は子を疑い子は親を猜うことさへあり、況んや余は去年浜松(徳川氏)を去りて武田家に帰属せるもの、浜松の徒余を憎んで反間苦肉の策を弄し、これがため訛伝流言を生じたるにあらんや、と敢えて意に介せざるが如し。信豊、障を隔ててこの言葉を聴き、出でて談を交えて曰く、卿の内通せる称するは素より確実なる証跡あるにあらず、只心底を糾さんとするに過ぎざるなりと、貞能重ねて其の理由なき嫌疑を斥け、曩に愛児仙丸を質子として帰参の誠を表わし爾来今日に至るまで従軍、転戦、聊か犬馬の労を致して怠る所なきを極力陳疏し、談世事に及びて従容自若たり、更に信豊の需めに応じて局に対す、挙止言動毫も平日に異るを見ず、信豊の意漸く釈く、是において営を辞し門外に出ず、城所道寿勿惶として走り来り貞能を招ぎて曰く、既に時刻なり湯潰を参らせんと、貞能かえりて馳走に預る。この時、小池五郎左衛門玄関を飛ぴ下り大音声に呼ばわりて曰く、「美作守(貞能)殿の反形竟に顕れて只今首を討取りたりと、従者聴きて少しも動ぜず、主人美作(貞能)に限りて異図を抱く者にあらず、と却つて其のざ妄なるを笑う。始め貞能作手を出でんとするや従者に向つて曰く、暇令へ黒瀬に於て如何なる珍事起ると雖も苟しくも余の首を見るにあらざれば決して軽挙妄動すべからずと堅く戒めおきたるためなり。而して五郎左衛門の詭計全く破れたるは笑止と謂うべし。  食事終りて後貞能、典廐等と尚閑談を続くるの際、土屋直村座に来り、敢えて卿を疑うにあらざるも真心を披瀝せんとせば誓書並びに重ねて質子を送致すべしと、再び貞能の夫人を需む、貞能悉く快諾し作手に急帰して世子(信昌)に事情の切迫するを告げ、予期の如く今夜実行するに決す。但馬勝正、夏目治員其の他重臣を招し潜に発動の準備を為さしむ。別に部下一般に対して、典廐の命を伝達すると称し各自随所に集合して静粛に控うべきを達す蓋し暗に勢揃いなさしむるの趣旨に出ず、而して準備の一着手として兵器鉄砲類を長棹に納めて搬出、潜行に便ならしむ是時、作手古宮城(元亀二年馬場信房の繩張りにて築きしもの)に在蕃して貞能を監視する甘利晴吉の目付初鹿野伝右衛門来り速に質子(貞能夫人)を本城に送るべしと督促して出ず、入替りて土屋直村の配下小笠原新彌、草間備前の両人来り、本日黒瀬会見の委細を承りて馬場信房へ報ずべしとの直村の使命を述ぶ。是より先黒瀬会見の席上において、直村未だ貞能の心境に対し釈然たらず、恐らくは今夜を以て退去するにあらん、貞能に面して詳かに其の言動を注視し、一人は馬場美濃守信房に急報し一人は直ちに帰営して復命すべしとの命を受けたるによる。貞能曰く、流石に右衛門殿(土屋直村)は信玄公の眼鏡に負かず若年ながら思慮の周匠亦人に過ぐと称揚措かず、閑談に時を移し大事の迫れるを知らざるものの如し。 (つづく) ********  注)これまでの記事は〈タグ「作手村誌」〉で