ChatGPT…。 3-2.5 豊富小「板書する子どもたち」(2) (昭和に生きる)
2022(令和4)年度の最終日、雲が目立ちましたが晴れの日でした。
AIチャットボットが世間(?)で話題になっており、政治の世界でも
岸田文雄首相は29日の衆院内閣委員会で、米オープンAIの「ChatGPT(チャットGPT)」を使って作成した質問に答えた。岸田文雄首相は国会で似たような答弁を繰り返し、質疑が深まらないと指摘されている。首相とチャットGPT、どちらの答弁が誠実だったのだろうか。という状況になっているようです。(日本の政治は大丈夫?) “先頭”を走るのは ChatGPT のようですが、使ったことがありますか。 ◇ChatGPT ◇AIチャットくん ◇Google Bard ◇Google Socratic ◇Bingチャットボット この先、AIチャットボットが、どのように進歩し、生活に活かされていくでしょう。あなたは、どう思いますか。 故・渥美利夫氏が還暦の年に著した『昭和に生きる』(1987(昭和62)年刊)からです。 渥美氏の教育実践、教育論は、“昔の話”ですが、その“根”そして“幹”となるものは、今の教育に活きるものです。これからの教育を創っていくヒントもあると思います。 本書のなかから、“その時”に読んで学んだ校長室通信を中心に紹介していきます。「考える」ことが、若い先生に見つかるといいなあと思います。 この項は、「豊富小『板書する子どもたち』に寄せて」から構成されています。 ******** 戦後教育史の片隅に生きる 教育行政の歯車のなかで 豊富小「板書する子どもたち」に寄せて (つづき) (3) きびしさへの挑戦 豊富小のなかに新しく育ちつつある芽と、それに対するわたしの期待をのべてきた。それは豊富小の前進のための足がかりそのものであるといってよいであろう。しかし、わたしは歩んできた道が、実践の検討というもののなかから創り出すという現場研究の本道であるだけに、今後もさらにこの道をまっしぐらにつきすすんでいただきたいことを念願すれば、それでことたりるのである。それはきびしいいばらの道であろう。けれども現場研究のきびしさに挑戦する力を十分に蓄えられていると思うがゆえに、豊富小の今後の成果を期待し、注目させていただきたいと思っているのである。 ここで角度をかえ、つぎのような視点からもメスを加えられたらどうかということを簡単に述べてみたいと思う。それが前進へのひとつのステップになればと考えて。
? ひとりひとりの問題をだいじにしながら、それを学級の共通の問題にねりあげていくいき方と、そのとき、集団の問題と個の問題はどのようにかかわるのか。この点への究明は“問題”をだいじにし、ひとりひとりをだいじにすることと基本的に深くかかわることだと思うからである。 ? 授業記録とその検討に、さらに幅と厚みを加えるようにしたらどうかということである。子どもをさらに鋭く深くとらえるために、たとえば授業のある部分を集中的に多角的に追いかける方法を考えるとか、またある子どもを克明に追うことによって、その子を核として、あるいは、一時間にとどまらないで一つ単元を通して息ながく授業の研究をすすめるということなどの開拓も肝要ではないであろうか。 ? 子どもをとらえることが、その後の指導の死活をにぎっている。この子どものとらえ方について、目を向け、その方法をよりたしかなものにしていくにはどうしたらよいのか。おそらくカルテの活用ということになろうが、どのような中味をどのように位置づけていけば子どもをとらえることが可能になるのか、こんなところを正面に押し出して研究をすすめるときがきているではなかろうか。 ? 今までの研究のすすめ方と同じように自分たちに都合の悪いことに身をよせて、研究をさらにすすめていただきたいということである。ピントのはずれたことかもしれないが、なにかこのあたりが重要なことのように思われるのである。 (昭和四十九年「板書する子ども」明治図書) ******** 注)これまでの記事は〈タグ「昭和に生きる」〉で 注2)掲載しているイラストは、学年通信(1993・1994年度)用に教員が描いたもので、図書との関連はありません。