法話「一水四見」から
天気のよい日で,日中の寒さは緩んで,洗濯日和(?)でした。
新年にネットで聞いた説法に「手を打てば はいと答える 鳥逃げる 鯉は集まる 猿沢の池」のお話がありました。
奈良興福寺にある猿沢池にちなんだ歌です。 池の前で「パンパン」と手を叩く音がする。 茶屋の女中は,お茶を持ってこいの合図だと思って用意してくる。 鳥は,威嚇の音だと思って,飛び去っていく。 池の鯉は,音をを聞いて餌をくれると思って寄ってくる。女中,鳥,鯉,それぞれの「正解」の行動です。それぞれが,最も相応しい行動を,自分で気づいて行っています。 同じ手を打つ音を聞いても,聞く者の境遇によって,意味や解釈が異なることを表しています。 ここで,女中さんだからお茶を持ってきての合図だと思ったわけですが,僧侶だったら違う意味や解釈になるでしょう。 また,仏教の考え方に「一水四見」(いっすいしけん)という言葉があり,
人間の私達には,水を透き通った液体つまり「水」と見える。 天人には,水がきれいに透き通ってガラスのように見える。 魚には,己の住み家と見える。 餓鬼には,燃えた血膿に見える。と,同じものでも見る立場や心のもちようによって見方が変わると説くものです。 今,自分が見ている世界は,他の人にはどのように見えているのだろう。 それを思い気づく法話でした。