集団「Emication」別館

楽しく学び,楽しく活動する,笑顔の集団「Emication」。 ふるさとの自然,歴史,風俗などお伝えします。読書や豆知識の発信もしていきます。 活動する人,行動する人,その応援と支援をする集団「Emication」。

「狸を追払った木剣」(つくで百話)

花0525。 “高気圧に覆われた日本列島”は,気温が上がり暑い日になりました。当地も,晴れた暑い日でした。  猛暑日,5月の最高気温を更新…といったニュースが流れました。みなさん,熱中症などの心配はありませんでしたか。  『つくで百話』(1972・昭和47年 発行)から「村の起原と人物」から紹介です。 ********     狸を追払った木剣  明治三十年代に,旧新城藩士であった嶋田鯉三郎正勝という人が杉平に住んでおりました。嶋田さんの奥さんの梨枝さんは,幕末の劔聖といわれた千葉周作の甥の娘で,神田お玉が池の千葉道湯で薙刃の稽古をしたこともあり,北辰一刀流薙刃の免許皆伝の腕前をもっており,京都の武徳殿の大会で,昭和の初年頃,総裁宮殿下の御前で薙刃の型を御覧に供したこともありました。又,その実兄倉光成資は,新城市平井に修武館と云う道場を開設して,南設楽郡地方の劔道中興の祖ともなった方でありまして,一族の中には,劔豪が沢山でております。  嶋田鯉三郎さんが住んでいた家は,杉平の児神社の下にあたる辺にありましたが,夜になると裏山から狸がおりてきて,家の裏側をゴソゴソと音を立てて歩るき回り,安眠妨害になって仕方がないので,嶋田さん方では「このクソ狸めが」と怒っておりました。  そこで鯉三郎さんは,山へ行って樫の木を伐ってきて,木劔を作り,狸を打ち殺すことにしました。一日かかって,木劔ができあがったので,今夜狸がでてきたら,一撃の下にやっつけて,狸汁のご馳走をしようと手具脛ひいて待っていると,今迄毎晩でてきた狸が姿を現わしません。  それからは,いくら待っていても狸は出て来なくなりました。狸が嶋田さんの劔におそれをなして,逃げてしまったのではなかったでしょうか。この木劔は,ずっと嶋田家に保存されておりましたが,昭和二十年三月,名古屋の空襲で焼けてしまいました。 ********  話の木劔は焼失したようですが,同じような由来のある“劔”がありそうな…。  みなさんの地区に,ありませんか。 注)これまでの記事は〈タグ「つくで百話」〉で  午後,ケータイが「警報音」を鳴らして,驚きました
地震0525。
 通知する地区に,関東を入れていたからですが,“久しぶりの音”にドキドキしました。  当地への警報でないことは分かりましたが,別の心配が浮かびました。  テレビで情報(状況)を確認すると,震源は千葉県のようで…。  関東にお住いのみなさん,大丈夫でしたか?おまけ】   ◇今日の全国観測値ランキング気象庁