集団「Emication」別館

楽しく学び,楽しく活動する,笑顔の集団「Emication」。 ふるさとの自然,歴史,風俗などお伝えします。読書や豆知識の発信もしていきます。 活動する人,行動する人,その応援と支援をする集団「Emication」。

「百万べえ」《村の行事 2》

花0911。 「今日は雨が降らないと思っていたのに,困ったことだ。」  夕方立ち寄った店で話しかけられました。不安定な天候が続きます。  雲の目立つ空でしたが,天気予報が「曇り」を伝えており,雨の予想はしていませんでした。  下校の高校生は,多くが傘をもっておらず,ずぶ濡れになって駅に向かって走ったり,自転車をこいでいました。さすがに,“若さ”でも雨は吹き飛ばせないかな…。  今日は9月11日です。  あの日から「18年」「17年」「7年6か月」となる日です。  そして,雑節の一つ「二百二十日」です。旧暦8月1日の「八朔」,「二百十日」,「二百二十日」を農家の三大厄日といわれます。自然からの災いを恐れ,それを鎮める「祭り」を行って収穫の無事を祈ります。  9月11日,“特別な日”として話題にしたい一日です。  先週(4日),非常に強い台風21号が接近・上陸し,大阪など大きな被害が出ました。4日に予定していた行事が中止されました。一週間後の今日,“火曜日に”の活動が影響を受けていました。  ちょっと油断していました。  「さて,どうしたものか…。」  文集「こうやまき」から,「村の行事」の一話です。  昨日の「百回参度」で触れたように,同じ行事について書いています。 ********    『百万べえ』  (文・菅守小6年 男子)  菅沼に古くから伝わる行事に「百万べえ」と言われる行事がある。それは十メートルぐらいの長さで,一個の玉の直径が四センチ位のじゅずを,多せいで「なむあみだぶつ。」と,念仏をとなえるのである。それにはこんなことがあったそうだ。  むかし菅沼に悪い病気が流行して,そのために村人たちがこまりみんなで,いろいろとそうだんしてその結果村中の人々が集まって念仏をとなえていたという。その時から,百万べえをやりだしたと言われる。  それからずっと百万ペえは続いていたが,ある日だれかが, 「こんなことはもうやめたらどうだ。」 と言う人が出てきて,とうとうやめることになった。  やめると,村のあちらこちらに,二,三年の間不幸なことがおこりはじめたと言われる。それで村人たちは,念仏をやめたからではないかと,不安になり,みんなでいろいろそうだんして,またやりはじめることになった。念仏をやめたからではないかと一番心配したのは,最初にやめたいと言った人ではなかろうか。やっぱりむかしの人だから神を信じていたのだなあ。  むかしの百万ペえは,旧暦で七月一日で今では太陽暦の八月一日になると,上菅沼と下菅沼に分かれて百万べえをやる。百万べえに出るのは,三十才以上の人や子どもばかりだ。百万べえは,一けん一けん回る時「なむあみだぶつ。」と言いながら,じゅずを百回ぐらい回す。子どもたちはそれになかま入りするが,それが目的ではない。そのあとでてくるものが目あてだ。それはおかし,子どもたちは大きなふくろを持っていて,念仏がおわると,お茶やおかしを出してくれる。子どもはおかしを早いものがちでうばい合い,大きなふくろにためこむ。そしてその家のおかしがなくなると,次にやる家に走って行く。おとなの人たちも今ではふざけている。子どもたちを回しているじゅずの中に入れたりする。  そんなことをしてもわざわいがおきない。神様なんているのだろうか。百万ペえも,もう少しでさびれてしまうような気がする。子どもたちは,おかしをもらうのが目的で,十三才から三十才ぐらいの人は少ない。百万べえに出ているおとなの人でも,気持ちはむかしとまったくちがうだろうと思う。今では神様を信じる人が少なくなってきたので,さびれてもしかたがないように思う。  百万ペえは,正しくは「百万べん」といって,日本各地ておこなわれていたようである。むかしはやっていたが,今ではやめてしまったところが,各地にあるのではないか,と思う。 ********  百万遍は,京都の知恩寺で始まったもののようです。  浄土宗で,極楽往生を願って10人ずつの僧や信者が輪になって念仏を唱え,1080個の玉の大数珠を100回,順送りにする仏事です。 【参考】   ◇検索結果「百万遍」(つくでスマイル)   ◇清崎の百万遍念仏(キラッと奥三河観光ナビ)