「きつねつきの話」 《作手村のむかし 31》
午前中は晴れていましたが,昼頃から“不安定な気候”といわれる通りに,急に雨が降ってきたり,日が射したりを繰り返しました。
とても蒸し暑い日でした。
本を読んだり,ネットTV・ビデオを観たりして,ゆったり過ごしました。
文集「こうやまき」から,「作手村のむかし」の一話です。
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『きつねつきの話』 (文・巴小6年 男子)
このあいだテレビで,きつねつき殺人事件というのをやっていました。あるおばあさんで病院にかよっていたが,なおらない。家の人はそれをきつねにつかれたのだと思い,ある日,そのおばあさんをけったり,たたいたりして殺してしまった,という事件でした。ぼくは,いくら月へ人がいけるような時代でも,やっぱり,伝説みたいなものが心の中にあるのかなあと,思いました。
そんなことを考えていたら,おばあさんが,
「そんな殺人事件じゃないけど,きつねつきの話なら知っとるに。」
といったので聞きました。
ちょうどおばあさんが,七つか八つのころ,おばあさんのおじいさんは,としをとるとよくかかる,ちゅうきのような病気で,手も足も動かなくて,なにもできずにねていたということです。
そうしたある日,おばあさんのおとうさんが村議会に行って,おばあさんとおかあさんとおばあさんの兄弟だけになっていました。その夜ぜんぜん動けなかったはずの,おじいさんがとつぜんふとんから手を出し,頭の近くにあったしょうじを,ちょうどなにかをつかむようにして,ばらばらにしてしまったということです。まだ小さかったおばあさんは,ほんとうにこわかったということです。そしてしょうじをばらばらにした後でも,ちょうちんのあなからもれた光が,天じょうにあたって明るいのを見ると,また手でつかむようなかっこうをしていたそうです。翌朝近所の人にそのことをいうと,
「そりゃあ,きつねにつかれただ。」
といいました。どうしようかと考えましたが豊川のおいなりさんのおまもりで顔をこすればいいと思いました。やってみると,もうそれからは,二度とそんなことはしなかったということです。
この話を聞いて,ぼくは,ちょっとばかみたいだなあと思いました。それは,おまもりで頭をこすったらそんなことは,しなくなったなんて,そうしたからなおったなんて,ぐうぜんともいえると,思ったからです。それと近所の人の言葉ですが,きつねにつかれたなんきめつけるのもおかしいと思います。ちょうどその時,ゆめのようなものをみていたとも考えられるし,病気のためだったとか,いろいろに,考えれると思います。また家の人も,きつねにつかれたなんていうめいしんを,信じるのが,おかしいと思いました。
でも,だんだん考えていくうちに,自分だったらどうだろうと思いました。もしぼくがそんな昔に生まれたとしたら,そしてそんな気味悪いことがあれば,なにも知らないことがあれば,きっときつねつきだろうと思ってしまうだろうし,ついきつねつきだろうといってしまうかもしれない。そういうことを考えると,すぐに,昔の人は,めいしん深いからばかだ,ともいえません。昔の人は,いつもめいしんを信じていたので,いくら今から科学的だとかいって説明しても,どうしても心の中のめいしんの方が正しいと思ったり,どうしてもそんなふうには,思えなかったり,そう思っていても,いざとなるとやっぱり,めいしんをいってしまう。くせのようになってしまっているのだから,しかたないと思いました。
また,こういうめいしんができたのは,たぶんそうだろう,というようなことが伝れいゲームのように広まっていってみんながそれがほんとうだと思ってしまう,というふうにしてできたのだろうと思います。
いろいろな話を聞いても,こんなばかなことと,思ってやめてしまわないでよく考え,調べてからいうのが,大切だと思います。
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昔の話を聞き,その“今”を調べてみると,「今も続き…」ということもありそうです。
夜,区で初盆念仏を行います。
合掌,そして感謝。