4-1 作手村 名前の由来 (記念誌86)
日中は活動に困るような雨はありませんでしたが、再び、雨模様の一日でした。
山道では、道路に水が出ている場所が、あちこちにありました。激しく降った雨が、少しずつ流れ出続けているようです。夕方からの雨も、また山にたまっていくのかな…。
記念誌『つくで −のぼとけが見つめた80年』(1986年11月発行)からです。
********
村はまるごと おもしろグッズ
作手村 名前の由来
善福寺縁起に「日本武尊東夷ヲ征シ玉フ当所ニ至リ見玉フニ八方峯高ク中平ナリ点…郷民開キ玉フ田数多出来有シ故郷名ヲ田原ノ郷卜宣フナリ……」とある。その後、弘法大師作と伝わる十一面観音の手が損失し、中興開山の真済僧正が手を作り、作手ノ郷と改めたといわれる。また、田原坂は、田原郷の前にある坂だから田原坂。額田町宮崎の地名は善福寺に行幸の聖徳太子が彫刻した日本武尊の像を祀り白鳥神社としたが、その神社の先にあるから宮崎というと伝えられる。
また、太古から作手村には湿原地帯が点々とあった。この湿原地帯のことを方言で「グテ」という。「グテ」に「ツ」という接頭語がついて「ツグテ」となり、それが呼びやすいように転化して「ツクデ」と発音されたところから、村の名がおこったという説もある。
********
注1) 記念誌『つくで』の記事は〈タグ「記念誌」〉で
注2) 作手地区の昔話を集録した冊子「つくでの昔ばなし」を『つくでの昔ばなし』に掲載しています。
注3)『つくで百話』の記事は〈タグ「つくで百話」〉で
注4)『続 つくで百話』の記事は〈タグ「続つくで百話」〉で
注5)『つくで百話 最終篇』の記事は〈タグ「つくで百話最終篇」〉で
注6)『作手の名勝と史跡めぐり』の記事は〈タグ「史跡めぐり」〉で