雷鳴・稲妻と豪雨。 5-1 つくでよいとこいちどはおいで(1) (記念誌86)
今日も雨が降ったり止んだりした不安定な天候の一日でした。
昨夜や21時半頃から、地響きをさせる雷が聞こえ、空を昼のように明るくする稲妻が光り、そして激しく降る雨になりました。
それが0時頃まで続きました。
近くにある3か所の観測所情報によると、矢作川水系で「49.0mm、49.0mm」、豊川水系で「51.0、53.0mm」と2時間連続で降ったようです。
※右図をクリックすると拡大表示します。
最近ではない長く続いた荒れた天候でした。これも夏の一つでしょうが、もう無くてもよい天候です。
明日は、回復するかな…。
記念誌『つくで −のぼとけが見つめた80年』(1986年11月発行)からです。
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つくで よいとこ いちどはおいで
はねこみ
青年団活動が曲り角にきた昭和54年、沈滞ぎみであった団体活動にカツを入れようと、お盆の行事の「はねこみ」を復活させ、後世に伝えようと立ち上った。その年8月、作手中学校で習いたての「はねこみ」を実演した。「はねこみ」は先祖を供養する踊りで百年程前、今の設楽町田峯や鳳来町から村内に伝えられたといわれ、太鼓を手に持ち勢いよく打ちながら笛や鐘に合わせて跳びはねるという激しい踊りである。
“電波銀座”の本宮山
山頂一帯に自然公園センターや冒険広場、展望園地、遊歩道等が設けられた本宮山。杉やヒノキの老本の生い茂る中に砥鹿神社が鎮座し、古来霊山として尊崇されてきた。ところが、昭和29年、旧日本電電公社作手無線中継所ができてがらその様相が一変。テレビ中継、無線の中継とアンテナが競いたち、“電波銀座”の観を呈し、その後の山頂一帯は、古い顔と新しい顔をあわせ持ったレクリエーション地となった。
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