昔話「日本武尊を刺したみこさし」 (続 つくで百話)
高い降水確率,空に黒い雲,東からの強い風…
早い時間に雨が降り出すだろうと思っていましたが,当地では日中に雨は降らず,風の心地よい一日でした。
暑い日が続きます。体調を整え,明日へ。
『続 つくで百話』(1972・昭和47年11月 発行)の「昔話」の項からです。
村制施行八十周年を記念して発刊された『つくでの昔ばなし』に,同名でお話が掲載されています。
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昔話「日本武尊を刺したみこさし」 明和 阿部安孝
むかしむかし,日本武尊が東国の悪者どもを征伐するために作手郷をお通りになった時のことです。尊は額田郡の千万町から巴山の峠へ登られました。峠から作手郷を眺められますと,草谷村,川尻村,長者平村などが,すぐ眼の下に並んでおり,広い田面が遥か彼方までつづいておりました。尊が暫くご滞在になることになっていた長者平部落には,幾棟もの大屋根が建ちならんで,真夏の太陽がカンカン照りつけておりました。
連日の強行軍で,いささかお疲れ気味の尊でしたが,もうここまでくれば大丈夫と急に元気をとり戻されて山をお降りになりました。草谷村にはいられますと,綺麗な小川に大きな鯉,ふな,なまず,うなぎ等が群がって泳いでおりました。尊は,今迄に,こんな大きな魚がかたまって泳いでいるのをみられたことかありませんでした。そこで「よし,これをつかまえて,宿元への土産にしよう。」と早速,はいておられた藁靴をぬいで小川の中へとびこまれました。尊は大きな魚ばかりを目あてにして追い回されましたが,この小川には,土人がアカンタとよんでいた六センチから九センチくらいの小さい魚が沢山おりました。アカンタは赤味がかった体のなまずに似ている川魚ですが,毒針をもっていますので,アカンタを踏みつけた尊の足を,したたか刺しました。不意をつかれた尊は「ァいたい。いたい。」と大声で叫ばれるとともに川から岸へとびあがられました。こうなっては,もう魚とりどころではありません。家来どもが,尊を抱きかかえるようにして長者平村へと馳けこんだのでありました。
アカンタは皇子を刺しだので,それからはみこさしと呼ばれるようになりました。所によってはあかみこともよんでおります。
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【「つくでの昔ばなし」(昭和61年11月発行)掲載】
◇『やまとたけるの命とミコサシ』
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【おまけ】
今日,こんな言葉を目にしました。
いかに善を思っても,行いによって善を表さなければ,善人とは言えない。 それは,悪い事を考えていると言っても,実際に悪事をしなければ悪人といえないのと同じである。 従って,私はどんな小さなことでも,実際に善を行う事を尊ぶ。善心が起きたら,すぐに実行するのが良い。 二宮尊徳:通称は金治郎、農政家何ごとも“外化”が大切です。それが“発信”されて伝わります。 それを“すぐ”に…。 ○○からの“思い(願い)”の発信を切望しているのですが…。