木挽さん(2) (つくで百話 最終篇)
暖かい雨の朝,強く降っていました。
日中,強い風が吹いたようで,出かけるときは濡れていただけの路面が,帰りは“台風の後”のように枯葉や枝が路面を覆っていました。日中,嵐のように風が吹き続けたようです。
みなさんのところは,いかがでしたか。
今夜から強い寒波で,記録的てな積雪も予想されます。寒さへ備え,大晦日をお迎えください。
『つくで百話 最終篇』(1975・昭和50年7月 発行)の「民族と伝承」の項からです。
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木挽さん 鈴木元一
(つづき)
この外に横挽きというのがありました。太くて長い材,廻り五尺,八尺,中には十尺もあり,長さも三十尺から六十尺という物は,地面に横倒しのまま横に挽きます。舟板などの類ですが,これは相当に上手な木挽さんでなければ挽けなかった。作間の木挽さんには無理でした。
木挽さんの上手(キレイに挽く)下手(キタナク挽く)沢山挽く,挽かないは,鋸の作り方によるといい得ます。まずアサリを上手に出す。次にヤスリで上手に磨くことです。これがうまく出来ていないと鋸がきれないばかりか,真直に挽けないのです。
木挽さんは重労働ですから,一日にご飯を四回食べ,一日の量が一升としたものでした。よく「一升飯を食わねば一人前ではない」と云われ,中には一升五合も食べた木挽さんの話を聞いたこともありました。
板を挽くには長さ六尺の物の,巾一間でいくらというのが挽賃計算の基礎でした。普通三間位,四間,五間も挽く腕達者もあったのです。中には十間挽いたという人もあったと聞いております。
当時,お米の値段が一升十五銭位で,一間の挽賃が十銭から十二銭しかお金がとれませんでした。
その頃“二間木挽に勘定いらず”と,言われたものでした。ご飯を一升も食べて,二間ばかりの仕事では,余りなし,という戒めだったと思われます。
木挽が木を挽くのには,丸太に墨壷を以って墨線をして,その墨の線を挽きますが,その墨掛けは木挽さんの仕事ではなく,他に先山といって,立木を伐採し,墨掛けをする人があったのです。
墨掛けというのは,このような製材業の基礎となる大切な作業です。木の種類,材質,大きさ量によって用途を考え,どのような製品にすべきかを考えた上でなされる仕事なので,誰でもやれる仕事ではありません。それでも中には先山もし,墨掛けもし,木挽もした人もありました。先年故人となられましたが,作手の川手に,笹野忠松という人がおられましたが,全く人並勝れた人で,何をしてもよい仕事をされました。いわば木挽の神様とでも言うぺき人でした。
木挽さんの全盛期は,明治・大正時代で,昭和に入ってからは,都市に沢山の製材所が出来たので,木挽さんの仕事は無くなり,時々新築される普請材を挽くか,特殊材(舟板など)を挽く位になり,その後,舟板も製材所で挽かれるようになったので,今は全く木挽さんの用はなくなりました。
(前三河産業株式会社常務取締役)
《写真 上》 ? 横ビキ
? ヤ(樫の木)
? ネジヤ(樫ノ木) 手挽板をひく時,板と板の間へ差しこんで前挽の通りをよくする
? トビ 材木を移動さす時使用
? ハピロ
《写真 中》 ? 菱やすり 断面が菱形で細長い。前挽鋸の歯先に三角の切込みをつけるに用う鋸の能率をよくするために発明されたやすり。
? 往復やすりともいう,昔の大やすりである。前挽鋸の歯をするに,やすりを前後についたりひいたりして歯をすったとのことである。
? つきやすり やすりを前について歯をする,後へ戻さず前へつく一方である。近年はもっぱらこのやすりを使う。
《写真 下》 前挽鋸 木挽が手挽板をひくとき使用す
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