集団「Emication」別館

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県民性。大昔の稲作(6) (つくで百話 最終篇)

花1130。 冷たい風に寒さを感じる,天気のよい日でした。  先日読んだコラムが,「 路上で1万円を拾ったら−で始まる四国定番の小話をご存じの方は多いだろう」と書き出していました。  四国では定番だそうですが,初めて聞きました。国民性を表した「沈没船ジョーク」(エスニックジョーク) のような話のようです。
 四国の人が,もしも,1万円を拾ったら?  徳島県民は1万円全て貯金する。  香川県民は5千円で飲みに行って,残りの5千円を貯金する。  愛媛県民は1万円で飲みに行く。  高知県民は拾った1万円に自分の財布から1万円を足して2万円で飲みに行く。     『四国各県の県民性を表した小咄』
 あなたは,どんな答えをしますか。  そして,○○県民は,どんな答えになるでしょう。  もっとも,お金を拾ったら交番へ届けないといけませんが…。  『つくで百話 最終篇』(1975・昭和50年7月 発行)の「民族と伝承」の項からです。 ********     大昔の稲作   西尾敏男  六、  すでに日本に稲がはいって二千年近い年月を過ぎた。湿田稲作から乾田稲作に変り,その面積も百万町歩に達した。時の政府がこれら全国に拓かれた土地を直接支配して,国家財政の基礎をしっかりしたものにしようとするのは当然の成り行きで,改新政策のねらいもそこにあった。そのために土木工事をすすめ,用水路をつくり,条里制をきめるなどしながら戸籍調査をすすめて班田収授の法を施行した。書物によると,このような計画が大化の改新で示されたのであるが,色々な調査や準備もあったろう。実際に行なわれたのは五十年ほど過ぎた,大宝律令のときだといわれている。  たとえ六年ごとに戸籍調査をしなおして班内が変わるとはいえ,とにかく土地の戸別所有が認められたのである。六才以上の男子には二段,女子はその三分の二,家人・奴婢は三分の一の割合で土地が与えられた。これを口分田という。当時の一戸は,前にも述べたように大家族であったから,一戸の経営面積は三町歩,五町歩,大きいものは十町歩にも及んだ筈である。  このころの収量はといえばが一段で穂束五〇束といわれているから,男子二段で一〇〇束となる。その中から田租として一段当り一・五束,二段で三束,来年用の種子として一段当り二束,二段で四束を差し引くと,九三束が食糧にまわる。「穎稲一束穀一年,春米五升」から推算すると穂束の九三束からとれる籾は九三斗。春米はその半分だから四六五升になる。一年三六五日で割ると一日一升三合である。この頃の一升は今の四合だから一日五合というわけだ。女子はその三分の二であるから約三合五勺になる。まアまアというところではなかろうか。ところで反収はどうか。一段五〇束とれて,一束の穂束から籾で一斗,米で五升ということは二五〇升,当時の一升が今の四合として一〇〇升である。そのころの一段は三六〇歩,(一歩は今と同じ六尺平方)だったので,これを三〇〇歩一反に直すと八斗三升である。今の二俵となる。いつの世でも同じことであるが,どの田も誰の田も同じ収量というわけにはいかない。田品といって田に等級があった。等級によって収量も差があり,上田五百束,中田四百束,下田三百束,下下田百五十束という記録がある。 ********  注)これまでの記事は〈タグ「つくで百話最終篇」〉で  注)『続 つくで百話』の記事は〈タグ「続つくで百話」〉で  注)『つくで百話』の記事は〈タグ「つくで百話」〉で