集団「Emication」別館

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昔話「雨乞いのおつぼ池」 (続 つくで百話)

空0816。 今日も“暑さ”を愉しむ一日でした。  浜松市で最高気温が40度を超えるなど,“危険な暑さ”でした。当地は,日陰では風を心地よく感じられました。  「夏休みは今日まで」という皆さん,明日の出勤・登校を,ご安全に!!Gluckauf !)  『続 つくで百話』(1972・昭和47年11月 発行)の「昔話」の項からです。  村制施行八十周年を記念して発刊された『つくでの昔ばなし』に,同名でお話が掲載されています。 ********     昔話「雨乞いのおつぼ池」       身辺雑事   豊川市  加藤房松  中河内の子産堂から,西の方へ向って山を半道(二キロメートル)くらい登ると小高い峠にでる。ここからは下山村の神殿や羽布が眼の下にみえる。羽布に,この頃できた三河湖など,ここからみおろすと素晴らしい眺めだ。珍しいことに,こんな山のてっぺんに一反歩(一〇アール)くらいの大きい池があって青々と澄んでおった。この池をおつぼ池といっていた。  わしも,今は豊川の住民だが,もともと作手の生まれで,二十六までは,中河内で百姓をしておった。その頃の百姓の悩みは,何といっても旱魃だった。土用にいくんちもいくんちも雨が降らん日がつづくと,田んぼはカンカンにひあがってしまってひびがはいる。こうなると村中大騒ぎで雨乞いをしたもんだ。  雨乞いの日には,村中のものがでて,笹竹に御幣をつけたものをつくり,お洗米や塩,線香などを持って,おつぽ池へ行ってお願をかけた。その時には弥宜様も頼んで,弥宜様がお祓いをしてから,雨乞いの祝詞を奏上する。そのあとで,山の枯木や,草を刈り集めて,うず高く積みあげて,これに火をつけた。どえらい火の手があがって,恐ろしい位に燃えつづける。村の人たちは,山をかけずり回って枯枝などを集めて,二,三時間も焚きつづけたもんだ。帰るときには,池にござるおつぽさま(大きなたにし)をお迎えして,、家へもどった。  そうすると,その日の中か,おそくも翌くる日には,屹度雨が降った。私たちは,おつぽ様のご利益だと心底から感謝した。おつぼ様は,ありがたい神様だと,一層信心を深めたもんだった。ご利益の雨が降ると,迎えてきたおつぽ様を,送りかえしたもんだった。  ところで,月日の経つのは早いもんで,わしも今年で満九十になった。昔の友だちは,あらかた死んで,生きているものは,ホンの僅かなもんだ。わしらが子供の時にゃ小学校は黒坂だったが,黒坂まで行くのは子供にゃ,ちと荷が重すぎたで,こうみどうが分教場になって,ここで手習いをした。生徒は,みんなで八人であった。この八名の名前を書いた板を,こうみどうの天井に張りつけてある。その中には木村村長の親父の半助さもいる。ここで設楽貞晙先生が習字を教えてくれた。先生が書かれたお手本が,今でも,わしの手許に保存してある。  わしは,七十頃から,自分で考えだした健康法を実行している。その要領を「長寿の栞」と銘うって,印刷して,今年の正月から知人に配っている。    長寿の栞 一、毎朝六時に起き,一時間仕事,または体操をすること 二、夜,お風呂をでた時,その洗場で,身体全部を摩擦する事 三、姿勢を正し,若々しく歩く事 四、子供夫婦,孫などに干渉がましいことを言わぬ事 五、人の長所をほめ短所をいわない事 六、新しい事に興味を持ち,時代におくれないよう心掛ける事 七、余裕があれば世のため人のために奉仕する事    昭和四十七年一月   豊川市栄町  加藤老人(九十才)  この長寿の栞の中で,第二項の入浴後,乾布摩擦をすることを,みんなにおすすめしたい。老人が冷水摩擦などすることは無理だが,これなら誰でもできる。皮膚を強くして,血のめぐりをよくするから健康上大いによろしい。わしの肌色は六十代のものだとみんながいってくれる。冬でも風邪など滅多にひいたことがない。これを始めてから,四年ばかりたったら,それまで苦しんでいた神経痛がケロリと治ってしまった。九十をすぎたわしだが山歩きなど,盛りの衆にも負けないという自信をもっている。  老人向きの身体の鍛練と心の平静と進取の心がけ。ここに私の健康の源泉があると思われる。 ******** 【「つくでの昔ばなし」(昭和61年11月発行)掲載】   ◇『雨乞いのおつぼ池』  注)これまでの記事は〈タグ「続つくで百話」〉で  注)『つくで百話』の記事は〈タグ「つくで百話」〉で