戦後75年。終戦記念日(敗戦記念日)。
青空の綺麗な日,暑い一日でした。
お盆の15日,甘泉寺で施餓鬼法要が営まれましたが,新型コロナ禍のなか,これまでとは大きく違っていたようです。
三界萬霊に供養
先祖への感謝 自然への感謝 合掌
75回目の終戦記念日(敗戦記念日)です。
1945年8月14日,ポツダム宣言を受諾し,翌15日正午,昭和天皇による玉音放送によって日本が無条件降伏したことが国民に伝えられました。
戦後70年のとき,
【ひろしまタイムライン】
先日(6日)に,Twitterのトレンドに「ひろしまタイムライン」という言葉が入っていました。気づきましたか。
“戦後75年”を調べていて,知りました。
NHK広島放送局の企画で,実在した原爆被害者の日記を元に,日付を合わせてツイートしてきました。
◇一郎@ひろしまタイムライン (@nhk_1945ichiro)(Twitter)
◇やすこ@ひろしまタイムライン (@nhk_1945yasuko)(Twitter)
◇シュン@ひろしまタイムライン (@nhk_1945shun)(Twitter)
今日も,それぞれツイートをしています。
◇1945ひろしまタイムライン(NHK広島放送局)
◇あの日から75年。Twitterに「広島から逃げて」と叫ぶツイートがあふれた舞台裏 #ひろしまタイムライン(BuzzFeed)
戦後70年の今年は,マスコミが「戦争を考える」「戦後を振り返る」ことを特集で取り上げています。 今日のテレビ欄にも,いろいろな内容が並んでいます。 さまざまな番組がありますが,これらを見るのは“高齢者”のように思います。 若者の多くは,テレビを見ませんし,新聞や雑誌も読むことは少ないようです。 “情報”のほとんどは,ネットから得て,それで困っていません。 それは,検索サイトやまとめサイト,そして動画サイトからです。 (略) 戦後70年,若者や子供に伝えられるのは「何」なのか考えてしまいました。と,節目の年の情報発信を考えました。 そして,戦後75年の節目の今年,さまざまな“特集”が目立ちます。新型コロナ禍でイベントの縮小,見合わせがされていますが,節目の企画が進んでいたものと思います。 この日に思い出す歌の一つに『♪ 戦争を知らない子供たち』があります。 1970年に発表されたジローズの曲で,作詞は北山修,作曲は杉田二郎です。1970年は大阪万博の年。大阪万博でのコンサートで初めて歌われた“反戦歌”です。
「戦争を知らない子供たち」 北山修・作詞/杉田二郎・作曲 戦争が終わって 僕等は生れた 戦争を知らずに 僕等は育った おとなになって 歩き始める 平和の歌を くちずさみながら ・・・ 今の私に 残っているのは 涙をこらえて 歌うことだけさ ・・・ 僕等の名前を 覚えてほしい 戦争を知らない 子供たちさ 戦争を知らない 子供たちさこの“戦争を知らない子供たち”も,今は年を取りました。 戦争体験について,次のようなに世代を分けて考える(言う)ことがあります。
○第1世代 … 戦前に生まれ,戦争体験者の世代。 ○第2世代 … 戦後生まれで,父母が戦争体験者の世代。 ○第3世代 … 戦後生まれで,祖父母が戦争体験者の世代。 ○第4世代 … 祖父母が戦後生まれの世代。戦争体験者は曾祖父母の世代。今,歌の子供は第2世代,社会で活躍するのは第3世代となり,間もなく第4世代へ移っていきます。 「戦争のことを…」「平和の意味を…」「命のことを…」… 次世代へ伝えることは大切です。 でも,その場や方法,その内容がステレオタイプになっており,“次の世代”に繋がっていないことが多くないでしょうか。 今,これから,自分にできることは…。 いろいろ考える一日でした。 以下,備忘録メモとして。 【戦後に考えた記事から】 ◇『焼き場に立つ少年』。(2017/08/10 集団「Emication」) ◇終戦記念日。「わんかせぶち」(つくで百話)(2019/08/15 集団「Emication」) ◇「次世代に伝える」とは言うけれど…。(愛知県戦没者追悼式)(2018/08/15 集団「Emication」) ◇戦没者追悼式でした。(2017/08/15 集団「Emication」) ◇盆。「戦後の名著」(2016/08/15 集団「Emication」) 【もう一つ歌】
「平和の琉歌」 作詞・作曲:桑田佳祐 戦争が終わって 僕等は生れた この国が平和だと 誰が決めたの? 人の涙も渇かぬうちに ・・・ 愛を植えましょう この島へ 歌を忘れぬ 人々へ いつか花咲くその日まで
【1945年8月15日】
— 一郎@ひろしまタイムライン (@nhk_1945ichiro) August 15, 2020
終わった。
よく聴き取れなかったが、「帝国政府をして共同宣言に応ぜしむる」「万世のために太平」ははっきりと聞こえた。やはりこれは、敗戦の詔勅なのだろう。#ひろしまタイムライン#もし75年前にSNSがあったら