打合せ。「かさ岩様」(つくで百話)
予報では,晴れるかと思っていましたが,雨も降る湿気の多い日でした。
午後,作手地区学校運営協議会で行った保護者アンケートについて,会長,共育コーディネーターと打合せをしました。
アンケートの結果・集計から,「見えること」「読み取るれること」,そして「保護者が伝えようとしていること」を話しました。
問3;子育てで困ったことがありますか? それは,どのようなことでしたか? 問6;作手地区で子育てをする「よさ」は,どのようなことですか? 問9;この地域で子育てをするのに,行政や学校,地域に求めることは,どのようなことですか?設問を考えたとき,「○○は低い結果が…。」「○○という声が多いのでは…。」と予想した質問の回答は…。 保護者のみなさんの回答に感心するとともに,頼もしく思いました。 これからの参考,活かすことのできる,いや活かさないといけない回答が多くありました。 来週の会議で提示する内容・資料を整理しました。 委員のみなさんが,どのように“読み”,どのような“意見”が出されるのか,とても楽しみです。 ありがとうございました。そして,よろしくお願いします。 『つくで百話』(1972・昭和47年 発行)の「文化財と信心」から紹介です。 ******** かさ岩様 それは江戸時代の或る日のことでした。やつれ果てた,みすぽらしい旅人が,雁峯山を越えて,田代村から川手村へ,トボトボと歩るいてまいりました。その顔も体も悪質の梅毒におかされて,みるも無残のていたらくでしたが,どこそこに,長者の面影が,かすかに残っておりました。 この旅人が,漸くのことで川手村空山に辿り着いた時には,もう精魂ともに尽き果てた様子で,道端にあったとある岩に腰をおろしたまま動けなくなってしまいました。その時,恰度,そこを通りかかった川手村の人がありました。この瀕死の重病人をみかねて,近くの泉から清水をくんできて与えなどして,いろいろ介抱してやりました。 この旅人が,あえぎあえぎ語った所によりますと,西国の,さる分限者の家に生れた,この男も若い頃,財宝のあるにまかせて,女道楽に身をもちくづしてしまいました。その揚句の果ては,その頃オランダ国から伝ってきた梅毒に感染して,手もつけられない有様となりました。金はなくなるし,親類縁者にも見放された男は,神仏に病気平癒祈願のため諸国巡礼の旅にでて,ここまでやってきたと,自分の半生を述懐しました。そして村人の手厚い介抱も甲斐なく,この岩の上で,息をひきとりましたが,臨終にあたって 「かさを治してくれといって俺に頼めば,諸病何んでも治してやる。」と言い終ってことぎれました。 川手村では,この岩のほとりに,旅人の遺骸を埋めて,その上にささやかな石の祠を建てておまつりすることにしました。その后百数十年を経た今日まで,川手部落では,毎年旧暦二月十七日,この旅人の命日を例祭日と定めておまつりをつづけております。このことを伝えきいた近村近郷の人たちを始め,豊橋,浜松等の遠方の人々も諸病平癒を祈願して幟や鳥居を奉献してお詣りをしました。祈願が叶って,病気全快したものは,全快お礼のために松かさを珠致にしたものを奉献しております。 この霊験あらたかな川手のかさ岩様の祠は,現在は川手部落の観音堂の中にまつられております。 ******** 注)これまでの記事は〈タグ「つくで百話」〉で