集団「Emication」別館

楽しく学び,楽しく活動する,笑顔の集団「Emication」。 ふるさとの自然,歴史,風俗などお伝えします。読書や豆知識の発信もしていきます。 活動する人,行動する人,その応援と支援をする集団「Emication」。

「地獄問答」(続 つくで百話)

木1107。 秋を楽しむ一日でした。  『続 つくで百話』(1972・昭和47年11月 発行)の「作手三十六地獄」からです。 ********     作手三十六地獄  地獄問答  昔,むかし,ある夏の日盛り,二人の商人が雁峯山の細い坂道を登り切って,やっと和田の部落へ差しかかりました。  一人が「さあ,ここからが作手三十六地獄,ここが地獄の一丁目,鬼も出ようというものよ,ハハハハハ。」といって笑いました。  道端の田圃に,草取りをしていた老人が,腰を伸ばし,笠を傾け 「ハテサ,、道理で今日もまた,我利我利亡者が通りおるわい。」と。大声で応酬しました。笑った商人は返す言葉に窮し,狐鼠狐鼠と逃げるようにして通り過ぎました。  ともすると,不便で未開の作手とあざわらおうとする町人,いつも不当な利潤をむさぼる油ぎった商人への憎しみの一喝として,それ以後作手の笑話となりました。  荒原,大和田,弓木,川手,小林,赤羽根,相月,寺林,野郷,川合,北畑,須山,市場,鴨ヶ谷,手洗所,岩波,長者平,川尻,草谷,東田原,西田原,中河内,黒瀬,善夫,菅沼,木和田,小田,五領,小滝等作手村内が三十四。鳳来町の道具津,大輪,恩原,源氏,島田,塩瀬,一色,布里,只持の九ヶ村。設楽町の田峯,折立,筒井,栗島,笠井島,桑平の六ヶ村。これに額田町の千万町も加わっておりましたので合計五十一ヶ村ともなります。この外に松ヶ田や下り沢を一村とした記録などもありますので,かなりの広い範囲が作手三十六地獄と呼ばれていたようです。 地獄略図1107。 五十有余の村々を三十六地獄といったのは,ちょっと腑に落ちないものがありますが,設楽町郷土史家沢田久夫先生の説によりますと「昔は六の倍数で多数という表現をする慣例があったから,必ずしも三十六ヶ村という訳ではない。京都の東山三十六峯というようなものだ。」と説明して下さいましたが,私も沢田先生の説に同調したいと思います。 ******** 注)これまでの記事は〈タグ「続つくで百話」〉で 注)『つくで百話』の記事は〈タグ「つくで百話」〉で