集団「Emication」別館

楽しく学び,楽しく活動する,笑顔の集団「Emication」。 ふるさとの自然,歴史,風俗などお伝えします。読書や豆知識の発信もしていきます。 活動する人,行動する人,その応援と支援をする集団「Emication」。

『議論を逃げるな』(宇佐美寛・著)

花0213。 日本海側に大雪を降らせた“寒波”の影響があるのかと心配しました。けれど,冷え込みはしましたが,新たな積雪はなく,ほっとしました。  日中は綺麗な青空が広がり,“春の陽射し”を感じる暖かい日になりました。  まだ寒さは続いていますが,日の長さや強さは“”になっているようです。  明日も“”を感じられるかな。  夜,第4回作手小学校設立準備会があります。  4月に新校舎での学校生活が始まりますので,本年度最後だけでなく最終の会議となります。  会議のようすは,またの機会に。  今月初めに書店に立ち寄ったとき,久しぶりに教育書のコーナーを回りました。そこに,“懐かしい名前”のある本が平積みになっていました。  教育学者と実践者とが繰り広げた「“出口”論争」のなかの一人です。  宇佐美氏の新刊『議論を逃げるな――教育とは日本語――』(さくら社・刊)でした。  帯には,
半世紀余にわたり/不誠実な誤った/教育言説を論破し続けた/研究者の信条── 日本語 この論理的な/言語で論じ/戦い抜くのだ。
とあり,タイトルの「議論」と「日本語」に引っ張られるように手に取っていました。  一気に読みました。  まず,本を開いて,最初の「序」の書きはじめに,「えっ」「おっ」でした。
 この「序」の部分では,なるべく読者が刺激され,怒り,不快になるようなことを書く。いわは,けんかをしかけるのである。
 そして,9章を通して,さまざまな「日本語の論理性をおざなりにすることから生じる問題」について,論評されています。  本書の問題提起に,「どう考えるか」「どのように答えるか」を考えてみませんか。  昨日紹介した『学習指導要領改訂のキーワード』と合わせて読むと,より「頭の中をアクティブにする」ことができるかもしれません。  先生,いかがですか。  読書メモから
○ ところが,「アクティブ・ラーニング」は無内容なスローガンの流れに過ぎない。だれが,何ゆえ,何をすべきなのかの見きわめがつかない。自由である。恣意的(気まま勝手)である。 (略) デューイ研究者は,黙っていられるのか。 ○ 自説を述べようとする者は,番を意識して,小出しに(つまり,他の研究者の反応・解釈を待つゆとりを持って)述べるべきである。 ○  とにかく,このような具体的な問いを自ら問う自覚を欠いたままで呪文を唱えないでもらいたい。 ○ 語の意味とは用法のことなのだ。用法は,その語(つまり記号)の解釈者(送り手・受け手)の間で解釈内容にある程度の共通性が有れば,安定する。 ○ 定義を自由に発明できるようにならなければ,創造的思考は出来ない。 ○ 人生では,時どき,こういう顕著な基準的経験が有る。(略) こういう基準を持っていと,あとから来る記号(言葉・経験)をどう解釈すればいいか(どう解くか)を考えやすくなる。 ○ つまり,旧いものに対する批判・否定こそが研究の本質なのである。 ○ 彼は,気の毒である。誰かが親切に忠告してやるべきである。私のような現役を引退した老人が言ってやるのは適切である。 ○ つまり,返事の欠如という現象が記号になってしまう。
  目次 序 第1章 「アクティブ・ラーニング」の害 第2章 句点無ければ、文は無し。 第3章 〈番〉 第4章 教育史の害 第5章 引用無きところ、インチキはびこる。 第6章 創造のための定義 第7章 基準系記号としての経験 第8章 言葉の皮がはがれると 第9章 議論が無い。 あとがき 著者紹介・著書目録