集団「Emication」別館

楽しく学び,楽しく活動する,笑顔の集団「Emication」。 ふるさとの自然,歴史,風俗などお伝えします。読書や豆知識の発信もしていきます。 活動する人,行動する人,その応援と支援をする集団「Emication」。

啓蟄。協議会。「おじいさんの子ども時代」《父母が子どもの頃 13》

花0306。 今日は,二十四節気の一つ「啓蟄」です。春の暖かさを感じて,冬ごもりしていた虫が外にはい出てくるころです。  今週の天候は,晴れた“春の陽気”よりも,曇りや雨で寒暖の変化もありそうです。体調を崩さないように。  午後,作手小学校学校運営協議会でした。  協議会の前に,子供達のようすを参観しました。それぞれの学級で,楽しそうに元気に学習・活動に取り組んでいました。  「毎日が楽しい」というようすが伝わってきました。  協議会では,本年度の学校評価の報告があり,次年度の学校運営方針を検討しました。  次年度は,小学校と中学校,そしてこども園との連携・協働を強めていける“仕かけ”と“仕組み”に取り組んでいくことになりました。  地域のよさが生かされた新しい動きができそうです。  関係のみなさん,よろしくお願いします地域のみなさん,ご協力をお願いします。  文集「こうやまき」(1970年・刊)から,「父母が子どもの頃」の一話です。 ********    『おじいさんの子ども時代』 (文・作手南中1年 男子)  ぼくの家のおじいさんは,杉平の生まれです。明治二十七年一月生,明治三十三年四月一日尋常小学校へ入学しました。先生は,山本先生が一人で一年から四年まで約四十人位を教えるので,一・二年を教えて復習させておいて,又三・四年を教えるので大へんでした。  入学する時は,読方の本,書き方の本と石盤,石筆ぬぐいなど買ってもらって,今の様に服やくつなどないから,着物に三尺をしめて,用具はふろしきへ包んで横に背負って,わらぞうりをはいて通いました。旭学校は杉平と見代と和田と戸津呂の生徒が行くところで,田代の生徒は田代小学校,高松の生徒は高松小学校に行きました。  尋常科四年で各小学校を卒業すると,六キロも七キロも道のりがある作手農林へ進学しましたが,なかなかたいへんでした。冬など夜が明けないうちに出かけ,帰りは日が暮れ暗くなるのでした。新城高等小学校へ親類の家へ泊まったり寄宿したりして行く子もありました。  旭小学校は見代合併前のところで,オルガンなどないので,三大節の唱歌は竹のむちをふって教えるのでした。書き方は半紙二・三十枚とじて草紙に書くのでした。書いた上に何んべんでも書くので,真黒くなってしまいました。  ぼくは,むかしの学校は,こんなに不便で不自由だったのかと思い,つくずく今はしあわせだと思いました。 ********  「石盤,石筆ぬぐい」を見たことがありますか。  “学校で使う”ことは想像できますが,ノートや消しゴムとは,だいぶ違いそうです。  また,「三大節の歌唱」とありますが,三大節をご存知ですか。三大節で歌った歌は,今でも歌うでしょうか。 【関連】   ◇新城市立作手小学校   ◇新城市立作手中学校   ◇作手こども園