『強父論』(阿川佐和子・著)
今日は,二十四節気の一つ「寒露」です。
寒露は,露が寒冷で凝結しようとする意味があり,秋の深まりを思わせる頃です。
今朝は,阿蘇山の爆発的噴火のニュースに驚き,復旧の進む熊本県にさらなる被害が拡大しないことを願いました。
当地では,朝は強い雨が降りましたが,日中には上がり,夕方には青空も見えました。
明日は…。
昨年8月3日,作家の・阿川弘之氏が93歳で亡くなられました。
と書きながらも,弘之氏の作品を読んだ記憶はなく,“阿川佐和子氏のお父さん”という理解でしかありません。申し訳ないことです。
娘・佐和子氏が,弘之氏のことを書いた『強父論』(文藝春秋・刊)を読みました。
弘之氏は,
「いいか,お前たち,俺が死んだら出版社から『故人について書かないか』という依頼がくるかもしれないが,よく心しておけ。もの書きの家族が『父は偉大でした』とか『夫は素晴らしかった』とか,ああいうたぐいがいちばんみっともない。世の中に持ち上げられて,遺族はたいがい勘違いするものだ。そういう勘違いをしちゃ困る。いいな,わかってるんだろうな。(略)」と言っていたそうです。 そうした弘之氏の思いに“逆らって”きた佐和子氏が「思い出すかぎり,精魂込めて書いてみることにした」話が,「こででもか」というほど出てきます。 「破天荒」という表現は合わないでしょうが,弘之氏の言動に驚きっぱなしでした。 「こんな父親がいたんだ。」と,佐和子氏の話を楽しめます。 本書のなかで,弘之氏の言葉(佐和子氏の言葉?)に,「作家は違うなあ」という言葉がいろいろありました。
○ D君の質問に「多少,韜晦(とうかい)気味ではありますね」と断った上で,「妻子を…」 ○ 恐る恐る及び腰の体(てい)を示すと, 「お前,熱が出たら,学校を休むだろう」 「まあ,熱が出たらね」 「熱が出たと思って休め」 「そんな無茶な」 ○「やっぱりお母さまの口笛は,汚れてないことよ」 (お母さま=志賀直哉の妻) ○「それからここ。だった,だった,だった,だったが三回も続いている。安機関銃じゃあるまいし」 「ほお…」 「あと,に,に,に,に,『に』を四回も続けて,ニイニイゼミじゃない。こういうところに神経の行き届かない文章はダメだ」 ○「二ページ目のいちばん下の段,うしろから三行目。『ほほえましい』とお前は書いているが,自分の家族のことを形容するにはそぐわない。他の言葉を探しなさい」
目 次 第一章 立派な老衰 一に妻子を養うため、二にいさかかの虚栄心のため/老人ホームに入れたら、自殺してやる! ほか 第二章 父とわたし 結論から言え、結論から/勉強なんかするな。学校へ行くな/「だった」を三回も続けるな ほか 第三章 父と母 これでもウチはまともなほうだ/頼むから俺より先に死なんでくれ ほか 第四章 最期の言葉 お前の名前はお墓から取った/俺は我慢するのをやめる! ほか【関連】 ◇徹子の部屋 2016年8月24日 【阿川佐和子】 (YouTube)