集団「Emication」別館

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文珠の知恵が出なかった話 (つくで百話 最終篇)

花0411。 天気のよい日で,風も穏やかで暖かい日でした。  『つくで百話 最終篇』の今日の記事に,筆者が嘆く言葉が出てきます。
 ああ,無智の呪い!子供よ,若者よ,お和尚さんよ,おん身たちは,あわれ一羽の小鳥については,全くの無知であったのだ。
 現代において,無智・無知との言葉を遣うことを躊躇しますが,“自分のもつ知識や常識”を疑わないことを嘆いています。  ここでは「イスカ」を知らずに「」で判断してしまっています。  冊子を読みながら,いろいろ考えさせられました。  『つくで百話 最終篇』(1975・昭和50年7月 発行)の「昔話と伝説」の項からです。 ********     文珠の知恵が出なかった話   鈴木庶水 「面白い小鳥を捕えた。」と,子供達が騒いでいる。鍬をかついだ青年がのぞきこんで, 「何だ!嘴がひどく歪んどるじやないか。これじゃァ何も食えりゃァせん。えらいかたわだな!」  そこへ又,これは近所の法事帰りでもあろうか,汚れた白足袋をはいた一人の坊さんが通りかかって,子供達にからかうような調子で, 「かわいそうに,何かの罰で不具に生れたんだな。お前さん達も,他人の悪口を言うと目が歪むよ。」  ここに登場した二人の人物,そは「この小鳥に関し,果して何程の権威ありしや。」にも拘らず,いとも簡単に「不具なり」との判定を子供達に投げかけ,無責任にも,その場を立去ったのであった。  次の瞬,子供達はこの歪んだ嘴を治すことを思いたち,直ちに実行にうつった。忽ち一人の少年によって一本の嘴が,無理無態に反対の方向へ棙じ曲げられ,他の一本も同様にして,ついにへし折られてしまうといった悲劇にまで発展した。  こうした手荒らな扱いに胸毛は抜け散り,嘴の根元からは出血して,今は殆んど動く力もないまでに痛められ,この段階に於て漸く子供達の手から解放された。  ああ,無智の呪い!子供よ,若者よ,お和尚さんよ,おん身たちは,あわれ一羽の小鳥については,全くの無知であったのだ。そのおん身たちが神を冒瀆して,この重大な判定を下すなどは「甚だもって不謹慎極まることであった」と言うべきであろう。  この鳥は「イスカ」であったのだ。イスカにはイスカの食物があり,その食生活を合理的ならしめるために,正しい神の攝理(Providence)があることも知らなかったのだ。  三人寄れば文珠の知恵どころか,大人の思慮の足りなさと,出鱈目の助言。大人の言うことは何でも信ずる純情な子供の創造的な蛮行。これらの結果が,今,造物主の前に,とり返しのつかぬ大きな罪を犯したことになったのだ。  世は正に知識万能の時代という。ただ望みたきは,こうした世代に於てなおも多くの幸福な小鳥達が,いや大切な人の子達が,浅薄の知識の物指で,比較的無責任な判断で,徒らに歪められたり,害われたりする事の無きようにと願うばかりである。  イスカ=鶍・交喙(Cross biII)燕雀目,アトリ科の小禽で北半球に広く分布,我が国へは秋の頃,北の方から来る冬の渡鳥である。嘴がくい違っているのが特徴で,この嘴でマツやモミなどの果実の鱗片をはがして種子を食する。  ものごとの喰い違う讐えに「イスカのはしのくいちがい。」などと言われる。ヨーロッパにも次のような言葉がある。  “Everything is going Contrary with the Cross bill” ********  注)これまでの記事は〈タグ「つくで百話最終篇」〉で  注)『続 つくで百話』の記事は〈タグ「続つくで百話」〉で  注)『つくで百話』の記事は〈タグ「つくで百話」〉で