作手の剣道(18)(続 つくで百話)
天気の良い日でした。
配り物があり,冷たい風が吹いていましたが,歩いて行くことにしました。巣ごもりの身には,よい運動になりました。
小学校から問い合わせがあり,ネット活用の説明に伺いました。
「小学校は○○があり,○○が利用できるので…。」
しばらく使われていなかったようですが,休校が続く中で“上手く利用できる”ものです。子供達の学びに役立つとよいなあと思います。
帰りに,運動場で遊ぶ子供達のようすを見ながら,児童クラブの指導員の方とお話しました。
「今,子供達は…。」
「指導員のシフトは…。そのために…。」
「3月の時は…。」
子供達と保護者のために,工夫し,しっかり指導していただけています。
ありがとうございます。
『続 つくで百話』(1972・昭和47年11月 発行)の「作手の剣道」の項からです。
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剣道を実生活に活かす阿部金重
社会生活──むすび
話は前後いたしますが,彼は昭和五年二月作手村大和田の阿部利三郎と養子縁祖を結び,その長女愛子と結婚して一粒種の弘矩をもうけております。
日本敗戦を契機として郷里に帰った彼は,戦後の国策に従って食糧増産に専念することになりました。百姓仕事は,それまで全然やっていなかったことでしたが,持ち前の旺盛な研究心と頑健な体で短期間に農業技術を体得して,立派に一人前の百姓となりました。
しかし英才あふれる彼が長く隴畝にかくれていることは周囲のものが許しませんでした。作手村教育委員,作手村体育協会理事,作手村社会教育委員,作手村体育指導員,愛知県青少年健全育成推進委員,作手村議会議員等に選挙され,または委嘱せられ,席の温まる暇もないまでに東奔西走,骨身を惜しまず奉仕的活動をつづけております。特に青少年の健全な育成は剣道からという信念のもとに真剣な活動を続けている阿部金重先生の日常であります。
彼の前半生は軍隊生活でありましたから剣と密着した毎日でありましたが,それは徹底的な活人剣でありました。戦時下の現地人の宣撫工作に成功したのも彼の剣道精神の賜ものでした。農林業に従事しても社会教育に携わりましても彼の行動力の源泉となっているものは,剣道精神そのものであり,彼こそは剣を実生活に活かしている典型的人物というべきでありましょう。
(峯田通俊)
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【おまけ】
イラストレーター 柚木ミサトさん作成のポスター
◇misato yugi 柚木ミサト @pelukiss(Twitter)
我が家のトイレ用。緩むので厳しめに作ってみました。
— misato yugi 柚木ミサト (@pelukiss) April 23, 2020
( ・◇・)ノ pic.twitter.com/GL2TQVahCv