清明。河童の話(1) (つくで百話 最終篇)
今日は,二十四節気の一つ「清明」です。
桜など草木の花が咲き始め,万物に清朗の気があふれてくる頃とされています。
今年は,すでに暦より早く“春”がやってきており,桜も散り始めています。
他の草花も成長や開花が早そうですが,草木の若葉が野山に輝いています。
草木の勢いを得て,これからの活動にあたっていきましょう。
以前に紹介しましたが,今日4月4日は,木村屋のあんぱんが明治天皇へ献上されたことから,「あんぱんの日」です。
そして,「どらやきの日」です。桃の節句と端午の節句に“はさまれた”日で,「みんなで食べて,みんなで幸せ(4合わせ)」との語呂合せだそうです。
今日の昼に,「さくらあんぱん」をいただきました。“しあわせ”な味を愉しみました。口福!
『つくで百話 最終篇』(1975・昭和50年7月 発行)の「昔話と伝説」の項からです。
********
河童の話
柳田国男先生の話
柳田国男先生は,全国各地にある河童の話を採録しておられる。河童の話は,北は北海道から,南は鹿児島・沖縄まで,まんべんなくひろがっていて,こんな広範囲にわたる説話は珍しいといっておられる。
河童を水の神とみて,北海道ではミンツチといい,青森・岩手辺ではメドチとよんでいる。琵琶湖東岸地方で,ミヅシというのと東北地方のメドチとは関連がないものとは考えられない。中部以西では河童・川小憎・ガアラッパ・ガオロなどと,呼んでいる。
九州地方ではカワノトノ・タビノヒトなどと呼び,河童の語をさけているところもあるという。
ミヅチは,漢字では蛟または虻と書いており,蛇の類ではないかという人もある。日本のミヅチという語には,水中の霊という意昧があるといわれている。何れにしても,河童は水にゆかりのある動物である。
河童は相撲が好きで,人間が相手になると,勝つまでは何度でも挑戦するので始末に終えないともいわれている。河童を負かすためには,始めに礼をさせて,頭のてっぺんにある水をこばさせてから相撲をとると,無力になり,容易に勝てるというのは,あまりに穿ちすぎた話ではあるまいか。
早川孝太郎先生の話
「横山夜話」の中で,新城市滝川の二の滝(現在ダムのある滝)に居た河童のことを述べておられる。
今から百年くらい前,二の滝の岩の上に,髪をきれいな禿にした五・六歳の子供のようなものが遊でいた。そばにいた人たちが「川小憎だッ」と騒いだら,渕の中へとびこんでしまって,再び出てこなかったと。
河童の御器
北設楽郡富山村大字市原は,天竜川の懸崖に面して展けた村であるが,ここの親方という家は当主を田辺逸次郎といい,鎌倉時代より連綿せる旧家であるという。屋敷は村内で最も高い位置で,脚下は天龍川の碧潬に臨んで,三方高く石垣をめぐらしてある。この家には昔,河童が住んでいたと伝えられ,当時食事を与えたという一個の御器を蔵している。木地のままの椀で,一ヶ所欠損しているが,その破片の方は今,同家の親類,豊根村大字下黒川の荒川幸雄方に蔵している。荒川家の言伝えでは,この御器は河童が竜宮から持ってきたものだといっている。
河童の円座
田辺逸次郎家の言伝えによると,同家の河童は,窯の上に住んでいたという。あるいは釜の蓋の上であったともいう。その風貌等については,今詳しく知ることを得ないが人間に似た姿をしていて,御器で飯を喰い,平素円座の上に座っていたものといい,その円座も同家に大切にして蔵ってあった。しかし,こちらは三十年来所在を失ったとのことで,実見することはできなかった。同家の主人または近隣者の実見した記億によると,大体藁でつくった普通の円座であったらしい。
(つづく)
《写真》 河童 姿は猿に似て浅黒く鼻は天狗の様に尖り頭のhは凹んで皿をなし水が溜っている間は大変力が強く相手に油断させて水の中に引込むそうです。
********
注)これまでの記事は〈タグ「つくで百話最終篇」〉で
注)『続 つくで百話』の記事は〈タグ「続つくで百話」〉で
注)『つくで百話』の記事は〈タグ「つくで百話」〉で
【関連】
◇4月4日 あんぱんの日(あんぱんなら銀座 木村屋總本店)