集団「Emication」別館

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小寒。本宮山の粥占祭(1) (つくで百話 最終篇)

鳥居0105。  朝,厳しい寒さではなかったですが,暦に合わせたように日中の気温は上がらず寒い一日でした。  今日は,二十四節気の一つ「小寒」です。  暦の上で「寒の入り」となり,今日から節分(立春の前日;今年は2月2日)までを「寒中寒の内)」です。寒風と降雪の時節となり,寒さが厳しくなる頃です。  これから“冬本番”となります。週末に強い寒波が予報されています。寒さへの備え,感染予防を行うとともに,寒さを楽しむ工夫をして過ごしましょう。  『つくで百話 最終篇』(1975・昭和50年7月 発行)の「民族と伝承」の項からです。 ********     本宮山の粥占祭  粥占祭は,管粥祭ともいわれ,本宮山奥宮で古来行われている特殊神事である。その起源は詳らかではないが,貞享縁起や文政八年の万年覚帳にも,正月十四日の条にこのことがでているから,旧くから行われているものと思われる。  往古は,旧暦正月十五日に行われていたが,明治以後は新暦正月十五日に改められた。粥占祭の行事は一月十日から十三日までの適宜の日時に,本社裏の旧社地,今泉久米次郎氏宅地内の薮で行われる竹伐神事から始まる。式は古典により弥宜又は主典の奉仕により行われる。  先ず修祓・献饌・祝詞奏上の後,薮中に入り適宜の竹十本程を伐り,案上に置き,祭員玉串を奉って拝礼,撤饌をもって終る。竹は里宮神饌所に於て斎管二十六本に謹製し,各本に農作物古来の名称を記入する。   茅切  竹伐と同じ日時に奥宮に於て行われる。即ち山中適宜の場所を選び祭員一同修祓の後,十数本を伐り神饌所に納める。式は祭礼を行わないで修祓のみである。なお,同時に社丁が随行して,当日所要の割木を準備する。 粥占0105。 以上の神事が里宮,奥宮同時に行われて,愈々粥占祭の本儀に入るのである。   粥占神事  一月十四日宮司以下職員は御管,その他所用品を持参して本宮山に登山,同夜参籠,翌十五日未明(午前四時頃)弥宜又は主典一名と出仕一名とは,神饌所に於て神釜に御饌を入れて粥を煮る。釜は一升炊きで中に米四合を入れ,時々水を注ぎ増しながら攪拌する。米が潰れ初めた頃,斎管を入れて更に煮続け,糊のようになった時,火を引き,神釜を拝殿中央に据え,斎場を辨備する。  祭儀は午前七時(昔は卯の下刻)宮司以下着座,修祓後開扉,献饌に次いで宮司祝詞奏上,次いで中央に辨備してある神釜前に座して一揖,祈念し斎箸を以て御粥を攪拌すること三度にして復座,斎員一同順次之に倣う。次に下座の一員いでて箸を以て斎管を拾いあげ,次員に送れば,これを紙にて払拭,次の一員これを受けて,予じめ用意の斎茅を以て管中の粥をト定板に押出し,管は粥の下部に置き添う。かくすること二十六回に及び,悉く粥を押出して卜定板の上に並ぺ終る。次ぎに上座の一員,粥の長短によって上(十種)中(十種)下(六種)の順位を判別し,宮司はこの順位に品目を卜定板に記し,おわってこれを神前階上,中段に献る。以上が卜定の儀である。次に官司王串を奉りて拝礼。ト定書並に神饌を撤して終了する。  祭儀終了後,社務所に於て版木を組み,粥占符を印刷し,参拝者に授与。又,里宮所用の分をも用意する。粥占符は年々内容を異にしているが,種目に異動はないから,版木の組み変えによって直ちに印刷することができる。なお,お符の内容について現在知り得るものは,明治十九年度分からで,昭和二年以降はト定板に綴り込み,後世に残すことになっている。  この粥占は農家に於ける重要なる指針となり,これによって作物の豊凶や天候と風雨を判ずる。故に農家では「オタメシ」「オクダガイ」或は「ゴタク」(御託)と称し,絶対に信用している。従って三河一国は勿論,遠く尾張遠江方面からも拝受者が参拝するのである。なお,この頒布に就ては農家の便宜を図り,旧暦正月十五日に奥宮に於て領布祭が行われる。 (つづく) ********  注)これまでの記事は〈タグ「つくで百話最終篇」〉で  注)『続 つくで百話』の記事は〈タグ「続つくで百話」〉で  注)『つくで百話』の記事は〈タグ「つくで百話」〉で