散歩。「ディスタンスと間」。
晴れた日でした。気温が高いわけではありませんが,“暖かさ”を感じる一日でした。
三が日は“巣ごもり”で,歩いたり体を動かすことなく,体が鈍った感じです。天気がよかったので,自動車で“散歩”に出ました。
本宮山に行き,山頂,砥鹿神社奥宮・奥の院,そして山道を歩きました。
砥鹿神社は,大己貴命を祀る神社です。本宮山に鎮座する神を迎え創建した里の社殿を「里宮」,山頂の社を「奥宮」と称し,二所一体で崇敬を集めています。久しぶりに,奥の院 岩戸神社へ向かいました。巨石の多い参道は,国見岩のところで「男道」と「女道」に分かれます。雪の残る参道ですから,歩きやすい女道を行きました。 国見岩は「大己貴命がこの岩山に神霊を留め,この岩上から国見をして,“穂の国”を造った」といわれる場所です。 国見岩から続く巨石のなかにある岩戸神社(奥の院)では,奥宮とは違った霊力(パワー)を感じました。 山頂で,高校生の集団がトレーニングをしていました。初練習を標高789mの地を選んだようです。元気な姿や声にパワーを感じました。 鈍った体に元気を得た散歩でした。 昼のニュースが「菅義偉首相が,年頭会見で,緊急事態宣言の発出に向け検討に入る姿勢を示した。」と伝えていました。 新型コロナウィルスの感染拡大への対応が“新たな段階”になっていくようですが,自分にできることは感染予防に努めることです。 改めて「何に気をつけ」「何をして,何をしないか」を見直し,しっかり取り組みましょう。 感染予防で,人との距離をとる「ソーシャル・ディスタンス」が言われます。事柄ではなく,言葉・表現が気になったことはありませんか。 ソーシャル・ディスタンスは,「社会的距離」です。その距離は“人と人との社会的なつながりを断つ”ことを求めているような言葉です。 “身体的・物理的距離の確保”を意味する「フィジカル・ディスタンス」(物理的距離)は,世界保健機関(WHO)も推奨しています。国内でも,この言葉・表現を使う自治体・団体が増えています。 こうした“距離”と似た言葉・表現に,「間」があります。 以前,雑誌で,空間行動学の渋谷昌三氏が
そうした状況に繰り返しおかれることによって,周囲の他人を人格とみなさないようになる,すなわち他人を“没人格化”する習慣がつくためと言われています。と,自分の周囲に空間が必要なのに,満員電車や人混みにならされることで,その空間がなくても過ごせるようになると,人と人との“距離感”について述べ,その最後を「“間合い”の文化」を大切にしたいとまとめていました。 コミュニケーションの大切さが言われ,言葉や表現の技術・技巧を磨かれている方も多いと思います。しかし,それだけでは十分ではなく,肌身を感じる“間合い”が伴っていることが大切です。 また,映画監督の大林宣彦氏の記事では,最初に,
上映時間90分のフィルム映画の場合,スクリーン上に映像が映し出されている時間はいったいどれくらいかご存じですか。と尋ね,そこから続けて,映像が映し出されているのは50分に過ぎず,後の40分は,コマとコマの間の黒い線の部分がシャッターで遮蔽されることによって“闇”が映し出されていると述べていました。 この“闇”も含め,映画監督のつくる「間」から,見る側の“想像力”によって作品に魅力が増していくようです。 フィジカル・ディスタンスを取ることが,「間」を失うことになってはいけないと思います。 「間」のある生活は,人の想像力を広げ,文化を創っていきます。 肌身を感じる“間合い”を持ち,「間」のある生活を創っていきたいものです。 【関連】 ◇三河國一之宮「砥鹿神社」 ◇砥鹿神社(とがじんじゃ)(@togajinja)(Instagram) ◇砥鹿神社 (@togajinja)(Twitter)