本宮山の粥占祭(2) (つくで百話 最終篇)
「低気圧が急速に発達し…。記録的な寒波が…。」と予報が伝えていますが,日中は“暖かい”日でした。
新型コロナウィルス感染拡大が続き,「全国で3106人の感染が…。過去最高の…。」とニュースが伝えています。
感染予防に努め,行動に気を付けて過ごしましょう。
『つくで百話 最終篇』(1975・昭和50年7月 発行)の「民族と伝承」の項からです。
********
本宮山の粥占祭
(つづき)
粥占頒布祭
毎年旧正月十五日に執行される。祭員はその前日奥宮に登山参籠し,翌当日午前十一時より祭儀に奉仕する。その祭儀は奥宮例祭と同様である。祭典終了後粥占符を三河国内全戸に配布する。本祭は前述の如く改暦に伴う新暦に属するが,明治十六年の日記を見ると,中祭に準じて行っており,又同二十四年の日記には「頒布祭」の名称があり,同三十年の神事帳以来確定して現在に至っている。当日奥宮への参拝者は頗る多く,全山人を以て埋まるの盛況を呈し,ために露店が出たり,青年団・消防団の警衛を見るのである。なお,頒布については,始め大正九年宝飯・南設楽・八名三郡に於ては,毎年各戸から御初穂奉納につき粥占一枚宛を無料授与したが,翌十年に右三郡の外,北設楽・渥美・額田・東加茂の五郡に及ぼし,更に同十一年には碧海・幡豆の二郡にわたり,合計十郡に対し,約十三万枚を無料授与することになった。
後記
粥占祭は筒粥神事又は管粥神事等の名称を以て呼ばれ,古米広く神社で行われ来ったもので,現官国幣社にあっても十数社に,府県社以下にあっても往々に認められ,現に豊川を隔てた石巻神社に於ても古伝のそれが執行されている。(下略)
三河国一宮砥鹿神社誌
本祭の起源に就いても,之を詳らかにし難いが,古く朝廷に於て正月十五日に小豆御粥を献ずる式があって,平安時代以降の記録に散見しており,その風習が民間にも伝えられ,江戸時代には上下を通じて広く行われた。故にこれが影響を与えるとともに,一方に於いて年中五穀の豊凶を神慮に依って決する卜占神事が,これと結合するに至ったとみることができよう。或は古くは神供だけであったのが後に卜占が加昧せられ,却って卜占の方が中心となるに至ったとも考えられるので,貞享縁起の卜占の記事が少しも見えないのは省略とみるか,或は上述の如く神供のみであったと解し得られる。
********
注)これまでの記事は〈タグ「つくで百話最終篇」〉で
注)『続 つくで百話』の記事は〈タグ「続つくで百話」〉で
注)『つくで百話』の記事は〈タグ「つくで百話」〉で
《追記:2021年の粥占祭》