立冬。特別展。明治前期の学校教育(10) (つくで百話 最終篇)
予報通りに雨の日になりましたが,昼過ぎまで何とか曇りのままでした。おかげで出先で傘をささずに過ごせました。
今日は二十四節気の一つ「立冬」です。「立」には「新しい季節になる」という意味があり,立春,立夏,立秋と並んで季節の大きな節目の日です。立冬から立春の前日までが「冬」です。
本格的な寒さはまだ先ですが,冷え込みとともに美しく色づいていく景色を楽しみたいと思います。
用事が早く済んだので,正倉院宝物の再現模造品の展示会が開かれている松坂屋美術館(松坂屋名古屋店)に寄りました。
展示会のことを知ったとき,「模造品? 贋作ってこと?」と思いましたが,どの再現模造品も見事でした。作成にあたり,その時期に入手が難しい“材料”をきちんと揃え,当時の“技術”を再現して,“ほんもの”が制作・再現されていました。
音声ガイドで,山根基世さんの説明を聴きながら,一つ一つをゆっくりと味わいました。
みなさんも,いかがですか。
『つくで百話 最終篇』(1975・昭和50年7月 発行)の「民族と伝承」の項からです。
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明治前期の学校教育
(8) 新教育雑感
寺子屋では,畳の上の小机の前に座っての師匠対寺子の個人教授であったが,学制による新教育では,一教室に数十名の学童が入り,二人用の長机・長腰掛で一斉授業を受けることになったので,教師も学童も始めのうちはとまどいがちであった。県は養成所をつくり,各種講習会を開催するなどして新教育の方法を指導するに努力したが,教師白身も先進地小学校の視察などによって教授法を身につけることにした。
その頃の教師は,羽織・袴で鞭をもって教壇にたち,掛図を指し示しながら大声で教えた。学童もまた大声をはりあげて斉誦したので,教室内は喧々ごうごう,参観にきた父兄はびっくりしたそうである。
学制が布かれた当時は,県当局の奨励と学区取締りなどの努力によって,諸外国でも驚くほど高率の就学率を示したが,明治十年の西南の役後は,世の中の不景気の影響もあって退学者が続出したので,村当局は躍起となって就学の奨励をした。
学制が布かれた当時は,ひたすら欧米先進国に追従することに急であったために,小学読本なども,フランス・ドイツ等の教科書の直訳的なものが多く,世論の反発を招いたこともあった。この傾向に鑑みて,日本の国体を明らかにして,忠孝を基盤とする教育体制の確立が叫ばれることになった。こういう情勢のうちで,明治二十三年十月三十日,教育勅語が御下賜になって,教育の動向が確立されることになったのは喜ばしいことであった。
参考資料 新城地方教育百年史 名倉小学校百年史
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◇特別展「よみがえる正倉院宝物−再現模造にみる天平の技−」(展覧会公式サイト)
◇特別展 よみがえる正倉院宝物 -再現模造にみる天平の技-(松坂屋美術館・松坂屋名古屋店)
◇松坂屋美術館(Twitter)