寺子屋と明治初年の教育(9) (つくで百話 最終篇)
朝,雲が目立ちましたが,日中は青空が広がりよい天候でした。
午前中の用事を済ませ,昼食をCafe Mabatakiでいただきました。Instagramで知っていましたが,初めてでした。
個性的な建物やオブジェに包まれた「ヒカリの森」の紅葉が美しい庭で,ゆったり過ごしました。
美味しゅうございました。
帰りに巴川(作手東高松)を回って,紅葉のようすをみました。
まだ少し早かったようです。
『つくで百話 最終篇』(1975・昭和50年7月 発行)の「民族と伝承」の項からです。
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明治前期の学校教育
(7) 小学校制度の整備
明治十九年四月,小学校令が制定された。同令によると,小学校は高等・尋常の二段階となり,学令は六才より十四才までの八ヶ年とした。尋常小学校の義務制・授業料の徴収も規定された。同年五月の「小学校の学科及ビ其程度」で「尋常・高等トモ二四年トシ,尋常小学校ノ学科ハ修身・読書・作文・習字・算術及ビ体操デ,土地ノ状況ニヨリ図画・唱歌ヲ加エルコトモ出来ル」とされた。「高等小学校ノ学科ハ,修身・読書・作文・習子・算術・地理・歴史・理科・図画・唱歌・体操・裁縫(女)・英語・農業・手工・商業モ加エルコトガデキル」とされた。このような小学校制度の整備に応ずるため,村内各学校の統合新築が続々行なわれた。この頃の愛知教育雑誌は,明治二十五年の高松尋常小学校の開校式の模様を次のように述べている。
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高松尋常小学校開校式
玄関には紅灯数十個を吊し,東方に高く棚を架け投餅を積み,其の近傍に施酒数樽を並べ飾り。式場正面には天皇皇后両陛下の御肖像を奉置し,聖寿万歳の軸を掲げ,その前面に卓を置き,勅語を奉安し,傍らに生花を据えたり。午前第十一時頃より来賓続々参集し……生徒を始め村長,村吏員,教員,新築委員,寄付者,父兄,参観人一同席定まるや,郡長始め来賓入場,着席時に一同敬礼し,両陛下の万歳を祝し,次に勅語を奉読,郡長祝辞を始め隣校教員,郵便局長,県郡村会議員,郡参事会員,寄付者総代,学務委員,本校教員,村吏員の祝詞,生徒総代及び村長峯田重憲氏の答辞ありたる後郡長は生徒に向かい,将来の勉学の心得等を懇々諭示せられ,同五時頃式全く終わり,生徒には餅菓子,蜜柑,折詰等を興え,この時蜜柑,投餅,施酒等あり,本村は勿論,近村より参観人夥多なりしを以って,校の四囲立錐の余地なく,頗る雑踏を極め,実に盛会なりき……
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