集団「Emication」別館

楽しく学び,楽しく活動する,笑顔の集団「Emication」。 ふるさとの自然,歴史,風俗などお伝えします。読書や豆知識の発信もしていきます。 活動する人,行動する人,その応援と支援をする集団「Emication」。

刊行を祝して (つくで百話 最終篇)

花0926。 朝は青空が見られましたが,曇りの一日でした。  秋が深まり,朝の気温は19度と涼しく(寒く?)なりました。出先は暖かかったですが,気温はあまり高くなっていませんでした。当地は曇ったこともあり,日中の気温は23度程と気温差の小さな日でした。  この頃,道路工事が多いような気がします。  今日も,目的地に向かう途中で工事渋滞があり,予定した時刻には着けませんでした。  予算の執行が重なるのかな…。  『つくで百話 最終篇』(1975・昭和50年7月 発行)の「巻頭」の項からです。 ******** 最終篇0926。    刊行を祝して  作手高原文化協会は,先に「つくで百話」「続つくで百話」を刊行せられ,作手文化の向上に寄与されましたが,今回,その締括りとして「つくで百話最終篇」を出版されることに対して,深甚の敬意と感謝を捧げたいと存じます。  わが村には「作手村誌」がありますが,これは羽織・袴の先生が演壇上から講演されるようなもので,どことなく堅苦しい感がないでもありません。これに対して「つくで百話」は,作手の庶民が囲炉裏を囲んで語り合うような,ゆったりとした気楽さが溢れていると思います。  私は,此の度「つくで百話最終篇」の草稿を拝見して,ともすれば忘れ去られようとしている昔の作手郷の庶民の生活が,まざまざと浮き彫りにされている情景に,強く心うたれるものがありました。  大昔の私達の祖先が,僻陬・広茫たる作手高原に住みついて,ここを伐り拓いた努力の跡と,そこに育まれた民話の数々に眼を見張り,全巻を興昧深く読み終りました。  本書刊行の企画・編集の中心となられたのは,峯田通俊氏でありました。同氏は,すでに喜寿を超える老令でありますが,幅広く知己・朋友を訪ねられて寄稿をとりつけ,或は古老の門を叩いて,将に消え失せんとしている民話を掘り起こすなど,精力的な活動をされましたことに,改めて敬意を表する次第でございます。  この峯田通俊氏の伴侶として,峰田好次画伯が得意の彩管を揮って数多の挿絵を描かれ,本書に一段と光彩を添えられたことは,高く評価されるべきものと思います。  私事にわたって恐縮ですが,私と峯田通俊氏との交渉は大正十五年に遡ります。この年の秋,稲石校長の発意で,作手農林学校主催の村内・小学校対抗陸上競技会が開催されました。この競技会に先立ち,島校医の紹介で峯田氏が陸上競技のコーチをされました。当時,開成小学校の六年生であった私は,同氏からスタート・バトンタッチ・跳躍などについて指導を受け,競技会では,走幅跳,四百メートル・リレーで一位となり,メタルを貰った楽しい思い出があります。  私は,村民の皆さま方──特に若い青壮年諸君が,ぜひ本書を座右に置かれて,先人の汗の跡を偲びながら,来るべき第二十一世紀の桧舞台において,つくで魂を遺憾なく発揮して,わが郷土の飛躍発展に邁進されんことを希って止みません。  聊か蕪辞を述べまして「つくで百話最終篇」の刊行を祝福申し上げます。    昭和五十年五月   作手村長  斉藤惣重
口絵0926。
********  注)これまでの記事は〈タグ「つくで百話最終篇」〉で  注)『続 つくで百話』の記事は〈タグ「続つくで百話」〉で  注)『つくで百話』の記事は〈タグ「つくで百話」〉で