集団「Emication」別館

楽しく学び,楽しく活動する,笑顔の集団「Emication」。 ふるさとの自然,歴史,風俗などお伝えします。読書や豆知識の発信もしていきます。 活動する人,行動する人,その応援と支援をする集団「Emication」。

ハローワーク。「中河内を震撼した惨劇」(つくで百話)

花1009。 台風19号(ハギビス)の進路と勢力が気になりますが,今日は朝から好天で,青空に綺麗な一日でした。  屋外作業の方々は,台風接近までに仕上げようとされているように感じる慌ただしさが見られました。  昨日(8日)は,二十四節気の一つ「寒露」でした。草花に冷たい露が宿り,秋が深まる頃です。  山の木々が紅葉の準備を始め,季節は秋本番となっていきます。  台風の大きな影響や被害が出ないことを願います。  午前中,キャリアコンサルタントの方とお話をするために,豊橋ハローワークへ出かけました。  “キャリア”,“コンサルティング”,“相談”…いろいろな話をお聞きできました。  ありがとうございました。  ハローワークに着いたとき,室内は若者,壮年,男性,女性…で“満員”でした。今どきの求職・求人のようすが見て取れました。  先月,別のハローワークで見たようすとは大きく違っていました。時期・時刻の違いなのかもしれませんが,どちらが“今どきの姿”なのでしょう。ちょっと気になりました。  『つくで百話』(1972・昭和47年 発行)の「怪奇物語」から紹介です。 ********     中河内を震撼した惨劇  今から六十年ぱかり前の三月九日午前二時という真夜中に,中河内部落の中央部にあったI家が火災のため炎上しました。天に沖するような紅蓮の問う?が,激しい音をたてて燃えつづけました。村人はてんやわんやで馳けつけましたが,当時は消防設備などは皆無の状態で,ただ馬欠や手桶で水をかけるくらいが関の山でありましたので,手のつけようもなく火勢を見守るばかりでした。三時間位の混乱の中にI家は,土蔵一棟を残しただけで他は全焼してしまいました。この火事で,I夫婦とIの弟,馬一頭が無残な焼死体となって焼跡に横たわっておりました。その惨状は,実に眼をおおうものがあり,翌朝,現場を見に行った私は,十才ばかりの子供でしたが,あの日の光景を回想するたびに,今でも戦慄を覚えます。  この惨劇が起こる数年前に,美濃の国から,力士くずれの森力勝五郎という賭博の親分が中河内部落へ流れこんできました。彼は,元プロ力士であっただけに,稀にみる巨漢で図太い面構えの男でした。ヤクザ渡世の渡りものですから,村の人たちは,なるべく彼を敬遠して,さからわないことにしていました。当時村の別嬪として騒がれていたKという娘がありました。ある日森力は,Kの父親に  「お宅の娘さんはいい子だのう。お出しなさらんか。」と持ちかけました。Kの父親は「貰ってくれる人がありやあのん。」と軽るく答えましたが,森力は,この言葉尻をとらえてくいつき無理矢理にKを女房にしてしまいました。  明治四十年三月九日の夜,森力は三人の乾分をつれて,金持の噂の高かったI家に押しかけました。まづ家の土台下を掘って,ここから侵入しました。そしてI家の三人を片端から殺しました。それから金品を強奪した上,持参した石油缶の石油を死体や家中に撤きちらして放火したのでした。彼は,I一家が火災のため家族が焼死したことを装う計画だったのです。一旦引きあげた後,乾分には何がしかの分け前を与えてから,豊川方面に逃がしました。暫らくして火勢があがるのを待って森力は現場に馳けつけて,村人たちにまじって消火を手伝っておりました。  翌朝,足助警察署と岡崎検事局から,実地検証に係官が出張しました。火事揚の跡片付けをする村人の傍らに腰をおろしていた森力が,時に居眠りをしているのをみつけた加藤という烔眼の刑事が,森力を犯人と目星をつけまして,一意彼を尾行して証拠がためをしました。事件後二週間目に森力は,鳳来寺村恩原で逮捕せられ,ついで一味の者も一網打尽に縛につきました。中河内を震撼した兇悪犯人森力は一年位後に刑場の露と消えました。 (佐宗源作) ******** 注)これまでの記事は〈タグ「つくで百話」〉で台風情報】   ◇日本気象協会 tenki.jp 台風情報   ◇最新の台風NEWSならウェザーニュース   ◇hicbc.com:CBC気象情報
台風1009。