「どうってことない」(青春4)
今日は,二十四節気の一つ「白露」で,大気が冷えてきて,露ができ始めるころといわれます。
今日の雨で,多少は“いつもの秋”に近づいていくでしょう。
朝、雲が厚く、天気予報で「曇りのち雨」と伝えていたので、「早くから降り出すかな」と思っていましたが、日差しを感じる“よい天気”になりました。
体育大会や運動会の練習が捗ったようです。
「捗った」と書きながら,ふと,“主語”は何になるだろうと考えてしまいました。
練習をする子供,教える先生,当日までの日程…
“○○が”苦手な子,嫌いな子…にとって,それに挑んでいくのが「成長への歩み」だと思っています。でも,世の中に「無理をしなくても…」「嫌なことは逃げても…」という声があり,それが大きくなっているような気がします。
“局所的に見れば”,その通りかもしれません。でも、今取りかかろうとしていることは、それにあたるのでしょうか。
その検討(詮議)なしに声に従ってよいのか…。
挑んでいく,立ち向かっていく,乗り越えていく…
そこに価値を見いだせる子供,伝えられる先生であってくれることを願います。
今,学校では…。
『しんしろ青春の会』の4回目,1998(平成10)年10月は,「どうってことない IT MATTERS NOT」です。
最初,
頭が白くても どうってことない 心と考えが若ければ 心のなかに灯があれば くちびるに歌があればから始まります。そして,「見えないものをみる,見えないところに目をそそぐ」として,9月23日のコラム『中日春秋』から引用しています。
「昼のお星」と「たんぽぽの根」…見えないけれどもある。 「離れて暮らしている子供」…普段目に見えないが,両親にとっては常に心にかかる存在 「先祖さま」…目に見えないが「ない」というわけではない。彼岸を迎える心について述べています。 コラムに引用された金子みすゞの詩には,「見えないけれどもある」ものに愛情を注いだ詩が多いとして,二つ紹介しています。
大漁 朝やけ小やけだ 大漁だ 大ばいわしの 大漁だ 浜は祭りの ようだけど 海のなかでは 何万の いわしのとむらい するだろう ******** お魚 海の魚はかわいそう。 お米は人につくられる, 牛はまき場でかわれてる, こいもお池でふをもらう。 けれども海のお魚は なんにも世話にならないし いたずら一つしないのに こうしてわたしに食べられる ほんとに魚はかわいそう。********* 裏面は「無言の教え」と題して,リード「子どもは,親の大切にしているものを,自分の人生の中においても大切にするものである。」の後,上前淳一郎氏の『読むクスリ』より「コロッケの思いで」を紹介し,それに続けて,次の言葉を紹介していました。
「告げ口をしない」 特に中学校以上の生徒たちの間で,厳しく戒められている「チクル」という行為。 「チクル」とは「告げ口をする。」こと。しかし,教師の立場では指導の中で一番困る厚い壁。若者にとっては当然の仲間意識のあらわれ。しかし,大人になると,この意識はいとも簡単に薄れる。守るべきこと,そうでないもの,見極めが難しい。金子みすゞの詩,「告げ口をしない」など,夏から秋に移っていく中で,感じることがありました。 みなさんは,いかがでしすか。