22年目の1月17日。
今日,阪神淡路大震災から22年目の「午前5時46分52秒」を迎えました。
今朝も“あの日”と同じように,布団のなかでした。 あの時,「さあ,起きなければ」と思っていて,大きな揺れがありました。 揺れに驚きましたが被害はなく,テレビを付けて朝の支度を始めました。その時のテレビは,普段通りの番組が流れ,被害を何も伝えていませんでした。 現在のようにインターネットは普及していませんでしたので,情報源はテレビやラジオだけでした。 出勤前に見る情報番組でも,地震の話題はありますが,“大きな地震の被害”は分かっていませんでした。 時間とともに被害の状況が明らかになり,大きく変わっていく“数字”と“映像”にとても驚きました。 あの日の刻々と変わる被害状況,その後「ボランティア元年」と呼ばれることとなる支援の動き,学校内での動き…,思いが巡ります。以前,職員にこんなお願いをしました。
一九九五年一月一七日午前五時四十六分 阪神淡路大震災 震災が奪ったもの 命 仕事 団欒 街並み 思い出 ・・・たった一秒先が予知できない人間の限界・・・ 震災が残してくれたもの やさしさ 思いやり 絆 仲間 この灯りは 奪われた すべてのいのちと 生き残った わたしたちの思いを むすびつなぐ 「1.17希望の灯り・碑文」 あの震災で亡くなった6432の命と生き残った私たちへのメッセージより
今朝も“あの日”と同じように,布団のなかでした。 あの時,「さあ,起きなければ」と思っていて,大きな揺れがありました。 揺れに驚きましたが被害はなく,テレビを付けて朝の支度を始めました。その時のテレビは,普段通りの番組が流れ,被害を何も伝えていませんでした。 現在のようにインターネットは普及していませんでしたので,情報源はテレビやラジオだけでした。 出勤前に見る情報番組でも,地震の話題はありますが,“大きな地震の被害”は分かっていませんでした。 時間とともに被害の状況が明らかになり,大きく変わっていく“数字”と“映像”にとても驚きました。 あの日の刻々と変わる被害状況,その後「ボランティア元年」と呼ばれることとなる支援の動き,学校内での動き…,思いが巡ります。以前,職員にこんなお願いをしました。
今日は阪神淡路大震災から○年目の日 1995年の阪神淡路大震災で,その災害がテレビで伝えられ,被災地に各地からさまざまな世代の“ボランティア”が集まり,復旧・復興の手助けをしました。それまでの災害とは違った動きでした。このことから,1995年を「ボランティア元年」とも呼ばれます。 「東北交流」を通し,東北の復興に意識の高い生徒達,7月にAさんの“情報が第一”の言葉を聞いた生徒達,彼らに何を語りますか。あの日,“ほとんどの若者”は生まれていませんでした。 若者の「あの日」は,「2011年3月11日14時46分」でしょう。あるいは,昨年の熊本,鳥取の地震の時かもしれません。 “あの日”から,いくつかの“新しい日本”が動き出しました。 “あの日”を知らない子供達に,何を伝えていくのか。 今日は,どんな話をされましたか。 【関連】 ◇阪神・淡路大震災から22年…神戸から熊本にエールを送る新聞広告が素敵「グッときた」それぞれの1.17も(Togetterまとめ)