6(5-17) 豊かで住みよい村づくり (わたしたちの村つくで 改訂版)
曇りの日で、時々小雨の降る一日でした。
ゴールデンウィークを終えた先週、そして新しい一週間が始まりました。新年度、新しい環境での疲れが出ていませんか。 このころからふたたび木材のよさが見直されるようになり,校舎内には小学生が使いやすいように,作手村で生産された木材がたくさん使われました。1992年(平成4年)には,バレーボールコートが2面もとれる開成小学校の体育館がつくられました。
作手村には,りっぱな総合庁舎や開発センター,歴史民俗資料館,学校,鬼久保ふれあい広場の各しせつ,工業団地,住宅団地,水田,園芸ハウスなどがあります。
また,道路は見ちがえるほど整備されました。これらは,すべて作手村が豊かなくらしをめざして計画を立て,取り組んできた結果なのです。これからも村民が協力し合って,豊かな作手村をつくりあげていきたいものです。
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注)これまでの記事は〈タグ「新わたしたちの村」〉で
注2)郷土副読本は,小学3,4年生に向けて「ふりがな・るび」がたくさん付いていますが,掲載にあたっては省いています。
注3)多くの写真や図版が載っていますが,すべてを紹介(掲載)していません。ご了承ください。
○ 昼寝をする 昼休みに、5分でも10分でもよいので、仮眠を。体や脳がリフレッシュします。ダラダラ寝るのは逆効果、20分以内に抑えましょう。 ○ストレッチをする 適度な運動は血流をよくし、疲労感をなくしてリラックス。仕事の合間に「う〜ん」という背伸びも手軽なストレッチ。 ○笑う 笑うのはストレス発散になるだけでなく、思考をポジティブにし、体を活性化させます。作り笑いでも効果があるようです。いかがですか。あなたは、どんなことをしていますか。 郷土読本『わたしたちの村 つくで』(2004新改訂版発行)の「6 作手村のうつりかわり」からです。 ******** 5 明治から平成へ 豊かで住みよい村づくり 昭和30年代になると,戦後の苦しい生活からしだいに豊かなくらしができるようになりました。30年代後半にはテレ ビや自動車がふえ始めました。 1968年(昭和43年)には,村に初めて工場が建てられ,その後,黒瀬には工業団地も完成しました。 村の発展と同時に,学校の統合と新校舎建築が行われました。 1957年(昭和34年)には,伊勢湾台風で高松小学校の校舎が壊れたのを機に,南部の3つの小学校が統合され協和小学校になりました。この時から,作手の小学校は,現在の4校になりました。 中学校は,1962年(昭和37年)に中央中学校と北中学校が統合され,作手中学校になりました。1974年(昭和49年)には,南中学校が統合され,現在の中学校になりました。
母校がなくなった 9月27日の朝,まだ暗いうちにかい中電灯を持って外に出てみると,家の前の橋が半分しかなくてびっくりした。明るくなって小学校へ行ってみると,なんとぼくたちの母校はぺしゃんこになっていた。ぼくは,すぐには言葉が出な かった。学校がつぶれて,ない。弟や妹は,これからどう過ごすのか,勉強をどうするのかと思うと,悲しくなってきた。集まってきた大和田の男子は,いつまでもだまって小学校を見ていた。(後略) 当時作手南中学校3年 島浩男さんの作文から1981年(昭和56年)には,巴小学校が,1988年(昭和63年)には,菅守小学校の校舎が新しく生まれ変わりました。