11年目の「あの時」
東日本大震災から11年目。朝から晴天の一日でした。
あなたは,“その時”を,どのように過ごされましたか。
ブログの“3月11日”を読み返して,その時からを振り返り考えました。
これまでのことを,昨年(2021/03/09)の記事,そして2年前(2020/03/11)の記事でまとめています。※『福禄寿』(仕事日記から)は閉鎖。
この一年は…。
(写真は,釜石市唐丹町の「津波記憶石 第3号」)
4年前(2018/03/11)の記事は,震災の後に綴られた中学生と警察官の言葉を紹介しています。
【追憶】
2005年の「平和の日・松山の集い」の舞台上で,新井満氏と三宮麻由子氏が,即興的に曲をつけ生まれた『この街で』。
「今」を重ねて思うことの多い歌です。
【関連】
◇東北を忘れない。(Never forget Tohoku!)(Facebook)
◇3.11 これからも、できること。(Yahoo! JAPAN / LINE)
◇全優石 津波記憶石プロジェクト
◇東北お遍路(こころのみち)プロジェクト(Facebook)
◇「ことばのちから」イベントで生まれた歌「この街で」(松山市)
◇震災11年 南海トラフ地震を考える(MBCニュース)
3月11日 ふつうに朝がきて、ふつうに一日すごして、ふつうに夜がくると思っていた。 地震と津波であっけなくこわされてしまった日常。 それをもう一度つくり直すのが、生き残ったわたしたちの使命だ。 =================== 沢山巡査は校舎の裏に階段があるのを多いつき,人々を叱咤し,手を引っ張り,腰を叩いて誘導しました。上り切ると,沢山巡査も息絶え絶えになっていました。 濁流は安全な避難場所のはずの校舎一階部分を呑み込んでいました。先にそこに避難していた多くの人々が亡くなったのを知ったのは,あとのことです。 自分は何もできなかった──滓のような気持ちが沢山巡査の胸に積もりました。 (略) 濁流に巻き込まれていった人や小学校の校舎で津波に呑み込まれた人のことが胸にわだかまっていましたが,それにとらわれていてはならない,目の前のことに全力を尽くし,やれることをやっていくのが警察官の仕事なのだ,と確信できたのです。今,改めて思う。 生きること,生かされていること,働くこと,行動すること,考えること,何のために… 【参考】