10年目の「3.11」を前に。
先日(6日),巴湖から巴山を抜けていく時,閉じていた店舗が開いていました。
開店を知りませんでしたが,つくで産ココノエモチを使用した「長者餅」を作っているようです。
◇ちょうし?ゃ屋(@chojaya_tukude)(Instagram)
今日,小学校の打合せの後に立ち寄りました。
きな粉とゴマの餅をいただきました。美味しゅうございました。
昨日に続き,"3月11日”の話題です。
10年前,大地震が起こり,大津波が襲い,原発事故が起こりました。
「あの日」を思いながら,これまでの記事を読み返し,その時時の思いを振り返りました。
まず,2017年3月10日の記事から転載します。
◇2011年3月11日 (金)
発災後,次々に入ってくる情報を,ただ驚いているだけでした。この日のブログ記事「 開会を待っているときに地震が… 」は,
◇2012年3月11日 (日)
この日,市役所職員有志が企画した「福興市 in 新城」が行われました。この日の記事『 「鎮魂」,「福興」,想像力を 』は,福興市のことから書き始めました。そして,マスコミの報道から考えました。 そして,『発表「僕たちの見た釜石東」』など5つの動画も載せました。
東日本大震災から10年が過ぎます。
明日,明後日,どんな“時”を過ごしますか。
日本全体が,地震への対応で動いています。 当市でも,日曜日に予定していた催しを中止にしました。関東からの参加者も多く,交通機関の見通しがもてないことによるものです。 また,市職員には,休日の連絡について指示が出ています。 19時頃には,マスコミからの問い合わせもありました。 津波の映像をみると,強い怖さを感じます。 大きな被害が出ているようですが,それであっても,被害が最小で終わるよう祈ります!!と,「何ができるか」を考え,動き始めることを記していました。
たくさんの“事実”が伝えられます。でも,それは一部です。 つい,そのことを忘れてしまいます。 被災地,被災者のことが,わかったような気がしてしまいます。助け合っているような勘違いをしてしまいます。 映像は,よく分かるように伝えてくれますが,その「先」や「前」への想像力を働かせなくても過ぎていきます。 それが勘違いにつながるような気がします。 一度映像を外して,想像力を駆使して“絵”を描いてみてはいかがでしょう。 絵を言葉に,言葉を絵に,その機会と時間をもちたいと思います。◇2012年8月 7日 (火) この年の夏,東北を訪れ,その途中で交流する中学校を訪問しました。2日目の記事『 今日は「立秋」 』で,目にしたこと,聞いたことの一部を記しました。
壊れた保育園や学校もありました。 また,高台にある施設は健在のようですが,“地区が崩壊”して再開できていないところもありました。 それぞれの場所で「自分だったら…」を問われた2日間でした。 旧南三陸町防災対策庁舎で出会ったおじさんが,「ペットボトルの水は,いつも持っている」と自転車のかごを見せてくれました。 1年前には,東京で暮らす人も同じようにペットボトルを持つ人が多かったと思います。 最近は,どうなのでしょう。 自分もペットボトル(水筒)を持ってはいますが,もう,当時の意識(おじさんの言う話)とは違っています。今,手にしているペットボトルは,“もしものとき”に備えたものではなくなっています。「もしものために持つ」ことも意識からなくなっているかもしれません。 “防災”への意識を見直さなければと思います。 ◇2012年12月 8日 (土) 「自分で見る。自分で聞く。」ことをしてほしいと,代表の中学生を東北に派遣しました。 そのとき,地震に遭遇し,「津波警報」「避難」「避難所」の体験をすることになってしまいました。翌日の記事「 交流派遣 帰宅しました 」で,
今回,テレビのライブ映像から“光”は消えませんでした。少し安心して連絡を待つことができました。 携帯電話はつながりにくくなっていましたが,引率教員から連絡が随時入ってきました。 「情報」のもつ“力”,情報が与えられる“安心”を,強く受けました。と“安心”を記しました。 校長としての内心は…。 ◇2013年3月11日 (月) 震災後,「3.11」が授業日となりました。14時46分,授業を止め1分間の黙祷をしました。 この日の記事『 「黙祷」。点から線,線から面へ。 』では,
吉浜中学校から贈り物が届きました。3年生が届けたものへのお礼です。 本校の卒業式の日,吉浜中では多くの生徒が受験に出かけました。学校に残った生徒が,大事な時間を遣って準備してくれたものです。 3.11。この日に届いた贈り物。 ありがとうございました。 3年生の交流が,次の交流に広がっていきます。これからが楽しみです。と,中学生の交流が“実”になっていくことを感じました。 ◇2013年7月 5日 (金) 夏,“中学生の力”を,自らが感じることができ,地域の方,行政の方などに伝えようと,多くの方々に協力いただいて「防災を考える日」を行いました。 その日の記事「 防災を考える日。 」 ◇2014年3月11日 (火) この日は,公立高校の入試の日でした。 この日の記事「 公立高校入試。「3・11」の日。 」で,朝の打合せに『何が彼らをそうさせたか 3・11の警察官たち』や数冊の本を紹介したことを記しました。
今,「風化」への不安が言われ,忘れないことを訴えています。その“忘れない”ことは,どこか無理を感じます。 それは,「〜しなくては…」ではなく,「思い出したこと」を忘れないのではなく,一人一人が「前へ進む」ことで,新しい“時と場や事”を作っていくことなのだと思います。 「3・11」の日,考える一日でした。◇2015年3月11日 (水) 防災への取り組みや交流が続いていくことで,新しい縁も生まれました。 この日の記事「 3.11 あの日から4年。 」では,“この日”に入った連絡を紹介していました。
今朝,豊田市立藤岡南中学校の先生から電話が入りました。 「当日になってしまいましたが,お知らせしなくてはと思って…」 と,学年行事についてのお知らせでした。 その行事で,カメラマン 三浦寛行氏を迎えて話を聞くそうです。 三浦氏は,東北へ何度も足を運び,支援を続けています。 震災直後からの記録をもとに,多くの人に震災について伝えています。 前任校(千郷中学校)の卒業生で,当地と東北との“縁結び”にも大きな力を発揮してくれています。この他にも,「奇跡のひまわり」が結ぶ縁がたくさんあり,それが今も広がっています。 ◇2016年3月11日 (金) 前年の記事「 3.11 あの日から5年。 」では,自問していました。
あの大震災から,日本人は多くの教訓を得ました。それを自問しました。 あらためて災害に備える「防災意識」が高まりました。今も,自分は高い意識をもっているだろうか。 被災者の方々が苦しい中でも「モラルの高い行動」をされていました。今,自分は大丈夫だろうか。 被災地に向けて見せた「日本人の優しさ」がありました。今の自分にできることは優しいだろうか。 「生きる幸せ。/学ぶ幸せ。/苦しむ幸せ。/笑う幸せ。/それらができる今がある。」ことを感謝し,被災地に思いを寄せた一日でした。ここまでの記事の翌日,◇2017年3月11日 (土) この日の「『あきらめないことにしたの』(堀米薫・著)」では,"福島の「かーちゃんたち」”の話を伝えました。
あきらめないことにしたの 渡邊とみ子 沢山悔しい思いをしたよね 沢山,沢山泣いたよ でも,生きてる やっぱり止まっては駄目だよ どんなに小さな一歩でも前へ進んだら ほらね。実ってくれたんだもの 植物は,こんな状況の中でも 頑張って生きているんだもの だから私は あきらめないことにしたの◇2018年3月11日 (日) この日の「「3.11」。「『東北お遍路』巡礼地めぐり」」は,東北の中学生が「3月11日」について綴った言葉を載せました。
3月11日 ふつうに朝がきて、ふつうに一日すごして、ふつうに夜がくると思っていた。 地震と津波であっけなくこわされてしまった日常。 それをもう一度つくり直すのが、生き残ったわたしたちの使命だ。そして,東北お遍路の本を取り上げています。 ◇2019年3月11日 (月) この日の「8年目。打合せ。「おばあさんの子どものころのお正月」《父母が子どもの頃 15》」に載せた写真は,「奇跡の集落」と呼ばれた吉浜地区の石碑(津波記憶石)です。この石碑には,吉浜中学校・吉浜地区と交流する千郷中学校の名も記されています。 ◇2020年3月11日 (水) 昨年の「9年目の「3.11」に。」では,これまで掲載した「あの日のこと」に関わる図書などを紹介しています。