集団「Emication」別館

楽しく学び,楽しく活動する,笑顔の集団「Emication」。 ふるさとの自然,歴史,風俗などお伝えします。読書や豆知識の発信もしていきます。 活動する人,行動する人,その応援と支援をする集団「Emication」。

防災・復興支援サイト。参内のめうとをつつむ春の月(1) (つくで百話 最終篇)

 雨そして曇りの一日でした。  間もなく"3月11日”。東日本大震災から10年目となる日です。  マスコミやネットで,震災の話題が大きく取り上げれています。  その一つ,3月1日に経営統合したヤフーとLINEが,防災・復興支援サイト「東日本大震災から10年 のりこえるチカラを共同で展開しています。
のりこえるチカラ。
 ここでは,「知るは、ちからになる。」「買うは、ちからになる。」などのコンテンツがあり,両社の特徴を生かした企画が見られます。  "3.11”を前に,今できること,今すること,それを考える時間をもちたい。  『つくで百話 最終篇』(1975・昭和50年7月 発行)の「民族と伝承」の項からです。 ********     参内のめうとをつつむ春の月  友人鈴木太富(庶水)君が,昭和四十六年春の叙勲で勲五等瑞宝章を受章された事を心から喜ぶ者の一人である。氏は戦後,改めて復活された栄典制度による叙勲者としては,作手第一号である。  三十五年の長期にわたる教員生活の後,作手村教育長として教育畑を歩いてきた彼は,目下作手村議会議員として地方自治に最後の情熱を傾けている。  大正七年,県立第二師範を出た彼が最初に赴任したのは,菅守尋常高等小学校であった。当時の校長,市川藤五郎氏は郡内きっての歴史科の権威者であったが,部下は何れも俊秀の勉強家揃いであった。鈴木太富氏はここで三年勤務の後,作手農林学校に転じ,普通科の教鞭をとる傍ら独学研讃,当時難関とされていた文部省検定試験に合格して中等教員の資格を得た。 鈴木氏0308。 鈴木氏と菅守で同僚であった竹下伝吉氏も,その後,文検に合格,更に司法試験に合格して弁護士となり,峯田猛氏も普通文官試験に合格して官吏に転向,愛知県農林主事となり,退職後財界に入り,大きな足跡を残した。更に,斉藤縫右衛門氏も尋正資格を試験検定で獲得,北設楽郡で小学校長を勤めた。  このように同僚の全員を切瑳琢磨に踏み切らせたのは,鈴木氏の感化による処多かったものと思われる。  鈴木氏は,資格獲得と同時に静岡県立藤枝高等女学校と,名古屋市立古新小学校とから招聘要請があったが,氏はかねてから知遇を受けていた伊与田校長の古新に転任して小学校教育に専念。二年の後,愛知県立刈谷高等女学校に転出したが,その後の彼はその天分を心ゆくまで伸すことができた。刈谷時代は,教論として一校に二一年間勤務し,三千人に余る卒業生を学窓から送り出した。かくして,彼は四五歳の若さを以って高等官四等待遇に叙せられ,昭和一九年春,新設された愛知県本郷女子実業学校長に栄転した。  昭和二三年,作手農林学校長として二七年ぶりで故郷の母校に帰ってきた彼は,戦後の学制改革の渦中に飛び込んで,新制中学校の育成と,新制高等学校へ変貌して行く母校作手農林学校の最終処理を見事に成し終えて,淡々として後進に途をゆずった。 (つづく) 《写真》 自作の句碑の前に佇む鈴木太富君夫妻のよろこびと感謝の一こまである ********  注)これまでの記事は〈タグ「つくで百話最終篇」〉で  注)『続 つくで百話』の記事は〈タグ「続つくで百話」〉で  注)『つくで百話』の記事は〈タグ「つくで百話」〉で 【関連】   ◇ヤフー、LINE、「防災」分野で連携し、安全安心なより良い未来の実現へ(ヤフー株式会社)