集団「Emication」別館

楽しく学び,楽しく活動する,笑顔の集団「Emication」。 ふるさとの自然,歴史,風俗などお伝えします。読書や豆知識の発信もしていきます。 活動する人,行動する人,その応援と支援をする集団「Emication」。

参内のめうとをつつむ春の月(2) (つくで百話 最終篇)

花0310。 久しぶりに,出先に向かうのに"公共交通機関”を利用しました。  平日の車内は…。  新型コロナ禍で,電車や地下鉄,バスなどの"3密回避”は,難しそうでした。通勤利用の方々は,どんな対策をされているのか,観察(?)しながら利用しました。  そこで…。  『つくで百話 最終篇』(1975・昭和50年7月 発行)の「民族と伝承」の項からです。 ********     参内のめうとをつつむ春の月 (つづき)  教職から退いた彼のために,村教育長のポストが待っていた。教育長としての彼は,作手教育界のレベル向上と複式学級の解消,小学校の統廃合等に数々の成果をあげた。教育長三期,任期満了となった彼は,今迄とは畑違いの村議会議員に選出せられ,目下二期当選議員として活躍中である。去る昭和四六年,作手村総合新庁舎の建設に当っては,建設委員長に推されて重任を果したが,竣工後,新装の議長席に始めておさまったことは,彼にとっても終生の想い出として,心に残ることであろう。 鈴木氏0310。 議会人としての彼は仕事に情熱を持ち,時には持ち前のユウモアを駆使して,常に意欲的に活躍を続けている。  南設楽郡議長会長としても,多くの人々と有意義な接觸をしていた。先年,熱海市で開かれた東海四県の代表会議に出席,会議後,お国自慢のコースに入って,各地の美昧しい食べ物や華麗な芸能が次々に紹介される中で,彼はいきなり鳳来寺火山をとりあげて気焔をあげたとか聞いている。  肢のサイドワークとして特記しなければならないものに,作手湿原の紹介と甘泉寺の高野槙の天然記念物指定がある。  昭和一二年,犬山市で開かれた愛知県博物研究会で「作手湿原の学問的考察」を,発表して全国的関心を喚起した。昭和二五年からは愛知教育大学(当時学芸大学)の実地研究場として学界から注目されている。  作手湿原の温存についての彼の懸命の努力にも拘らず,農業構造改善事業のため,その大部分が壊滅してしまったが,先年長野山湿原の一部が,後継者の権田昭一郎氏らの努力によって愛知県天然記念物に指定され,研究の対象として見守られていることは,彼にとって,せめてもの慰めであろう。 高野槙0310。 甘泉寺の高野槙については,大正の初期から既に彼は関心をもっていた。自来,倦まず撓ゆまず,県・文部省などに働きかけた努力が実って,昭和四十五年,国の天然記念物指定にまでこぎつけた彼の働きは高く評価されている。すでに喜寿を過した彼ではあるが嬰鑠壮者を凌ぐ元気をもってプロゼクトに取り組んでいる。   (峰田通悛)写真上》 湿原の壊滅に抗議してNHKと現地視察をする鈴木氏 《写真下》 甘泉寺の高野槙 ********  注)これまでの記事は〈タグ「つくで百話最終篇」〉で  注)『続 つくで百話』の記事は〈タグ「続つくで百話」〉で  注)『つくで百話』の記事は〈タグ「つくで百話」〉で 【関連】   ◇東日本大震災から10年。のりこえるチカラ(3.11企画 - Yahoo! JAPAN