集団「Emication」別館

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雨水。ホラ米爺さん(3) (つくで百話 最終篇)

蕾0218。 今日は,二十四節気の一つ「雨水」です。雪が雨となって,氷も溶けて水となる時季です。  昔の農家では,冬の作業に代えて,農耕の準備を始める目安となる日です。  しかし,「大雪警報…」「大雪に注意し,道路凍結を…」という天候となっています。当地も,積雪の朝,そして日中もずっと雪の降る日でした。  この寒さを超えると暖かくなる予報です。暦のように“雪・氷から雨・水へ”と変わっていくことでしょう。  “”の準備を進めましょう。  『つくで百話 最終篇』(1975・昭和50年7月 発行)の「民族と伝承」の項からです。 ********     ホラ米爺さん (つづき)   農林学校の演習林と彼  晩年のホラ米さは作手農林学校の世話係として,骨身を借しまず学校の施設整備などに努力を続けた。或る時,稲石校長が 「おじいさん,この学校には創立当時つくられた猫の額くらいの実習林があるだけだが,これじゃァ林業教育なんかできっこない。どっかに実習林にするような山はないだらァか」と,相談を持ちかけた。 「それにゃァいい山があるぞ。小林区の共有で,グゾバ藤にまかれておる古戸山がある。あいつをあげるか」 「そいつは忝けない。よろしく頼みます」と,校長は底抜けに喜んだ。  ホラ米さは,独断で小林区の共有山一〇ヘクタールを農林学校の実習林として提供することを,校長に約した。それから暫らくたってから,小林部落の庚申日待の夜,おつとめの行事が済んで直会に入った時,ホラ米さが改った口調でいった。 「村の衆にきいて貰いたいのだがのう。こないだ農林の校長が実習林がなくて困っとるでなんとかしてくれちゅうで,古戸のボロウ山をやることにしたでたのむぞい」 「ただでやるのかい」と不満気に聞く者があった。 「そりゃァただだ。ボロウにしといても仕方がないが,農林にやりゃァ立派な山になる。お国のためになるで,良いじゃないか。重憲さ,お前はどう思うかい。あんたァ村長として小学校の基本財産にするちゅうて,学林を三〇〇町歩(三〇〇ヘクタール)もつくったじやないかい。」  部落の一員として庚申日待に出ていた重憲も始めて発言した。 「そりゃァ農林にやるのも良いが,物には順序手続きというものがある。米さの独断で決めたのはまずかったなァ。」とは言ったものの,結局,ここはホラ米さの顔を立てまいかということで一同賛成した。  古戸の共有山が農林学校の実習林に決ると,学校側では地明け作業にとりかかった。ホラ米さは生徒らの先頭に立って,山一面に被いかぶさっていたグゾバ藤やボロウを刈り倒した。二・三ヶ月たって,刈ったボロウが枯れかかった頃合いを見計らって,火入れをして焼払う,とホラ米さが言い出したので,近所の人々はびっくりした。実習林のすぐ隣りには,御嶽神社の境内林があり,天を摩す大木が林立している。これに火が燃え移ったらえらいことになるからと言って反対したが,ホラ米さは全然聞き入れない。 「警察へ引っぱられる時には俺一人が責任を負うから」と,言って火人れを決行した。村の消防団も,すててはおけないからといって警戒したが山焼は無事に終った。  翌春からは,実測一〇ヘクタールの実習林の植林が始まり,二万三千本のスギ・ヒノキが植えつけられた。自来,毎年農林学校生徒の莫大な労働力がこの山に投入された。  今までに,一部分皆伐されたところもあるが,立木石数見積り約八千石(二,二〇〇立方メートル)を擁する作手村有林随一の美林となっている。   晩年の逸話  ホラ米さは,その持山である立板山の頂上付近に一二四本の赤松を残して,枯損木や雑木を伐り払って山林公園をつくった。ここに残された赤松には歴代の天皇の御名を書きつけた。神武天皇明治天皇に擬した木は特に大きな見事なものであった。ここにもホラ米さの思想信念がうかがわれる。  ホラ米さは,生前に自分と妻ふさの石塔を建てた。たまたま塔身の石材ができあがった時に,狩猟の名人犬千代が前の道を通りかかった。犬千代は村でも有数の能筆家として知られていた。 「オイ!千代公,俺の石塔に字を書いてくれんか。鈴木米造夫婦之墓とな」と,ホラ米さが呼びかけた。 「夫婦の墓はおかしいぞ」と,言う犬千代の言葉をおさえて 「いや,それで良い。明治天皇様もお勅語で“夫婦相和シ”と言われとる。たのむ」と言いはったが、犬千代は「鈴木米造夫妻之墓」と,書いてしまった。  小林の共同墓地には,風雪四十年を経た鈴木米造夫妻之墓の墓碑が,さながら大名の墓でもあるかのような偉容で聳え建っている。 「今の若い衆は意気志がないぞ。おらが若い頃にや米俵を襷にとったもんだ。今でも俵かついで走れるぞ。」と,小学校の運動会に来賓として招待されていたホラ米さが言った。まさか俵をかついでは走れないだろうと,皆が噂していたら,家へ帰って俵をかついだホラ米さがノソノソと運動場に姿を現わした。 「いいか。よく見とれよ」と,言った彼は,俵をかついで悠々と運動場を一周した。時にホラ米さは満八十歳であった。後でわかったことであるが,彼のかついだ俵は籾穀俵であった。籾穀俵でも俵に間違いはなかった。  万年青年を自負していたホラ米さも,八十六歳で大往生を遂げた。   (峯田通悛) ********  注)これまでの記事は〈タグ「つくで百話最終篇」〉で  注)『続 つくで百話』の記事は〈タグ「続つくで百話」〉で  注)『つくで百話』の記事は〈タグ「つくで百話」〉で