集団「Emication」別館

楽しく学び,楽しく活動する,笑顔の集団「Emication」。 ふるさとの自然,歴史,風俗などお伝えします。読書や豆知識の発信もしていきます。 活動する人,行動する人,その応援と支援をする集団「Emication」。

正月の蘊蓄(2)。昔の炭焼(1) (つくで百話 最終篇)

花1218。 晴れた日になりましたが,積もった雪はなかなか溶けずにいます。  当地へお越しになった方には「峠を越えると,そこは雪国だった…」という景色かと思います。  さて,前回に続いての「正月の蘊蓄」です。
◇しめ飾り   しめ縄で作ったお飾りです。正面玄関の軒下に吊します。家の中にある古い年の不浄を払って,いつも神様をお迎えできますという印です。   正月に門松や,玄関,床の間,神棚などにしめ縄を張って,人間に災いをもたらす禍神が家の中に入ってこないように,呪いとして飾られます。   しめ縄は,左ひねりが定式で,これは左を神聖視する旧来のしきたりによります。   飾りには,輪飾りや,大根締め,牛蒡締めなどがあり,餅,昆布,松葉,魚,橙等を付けて飾ります。 ◇鏡餅   神様へのお供えものです。最後に,それをさげていただくのが習わしです。鏡餅は,生命力をもたらすとされました。   鏡餅のお飾りには,    ・うらじろ … 長命をあらわす    ・ゆずり葉 … 後の世代まで長く福をゆずる    ・だいだい … 家系が代々繁栄する    ・昆布 … よろこんぶ    ・干し柿 … 幸福をしっかり取り込む    ・伊勢えび … 海老の中でも最も立派な海老で,腰が曲がるほどの長寿を願う
 鏡餅は,三方に半紙を敷いて飾りますが,お宅には“三方”がありますか。  『つくで百話 最終篇』(1975・昭和50年7月 発行)の「民族と伝承」の項からです。 ********     昔の炭焼   遠山義一 炭焼1218。 昔の作手郷の山々は,大部分共有山──モヤイ林でありました。モヤイ林は,草刈場と萱場と雑木山でした。杉・桧の植林は,明治になってから盛に行われるようになりましたが,それまでは天然生の赤松が主体をなしておりました。  炭焼をするためにモヤイ林に入る時は,藁の苞を入口に引っかけておいて仕事にかかるのでした。後からきた人は,藁苞のかかっている山には入山せず,他の山を探すことにしました。後世になると,よい山を奪い合う傾向がでましたので,くじ引で山を割り当てることにしました。  その頃の山村の百姓は,現金収入の途が殆んどなかったので,炭焼は恰好の現金収入の稼ぎ場でしたから,炭焼で金を貯めるということに百姓の夢がかかっておりました。そんなところから,全国各地で炭焼長者の話も生れたことでありましょう。  百姓たちは,秋の終りからあくる年の三月までは,一生懸命炭焼に精出したものでした。  その頃,モヤイ林の雑木は,村人は誰でも自由に伐ることができましたが,明治時代になって個人所有の山林が多くなると,山持の人の山を買って炭を焼くか,山主に頼まれて焼子として働くかしたものでした。  炭山を買うときには,その評価が大切で,百俵はでると思った山で八十俵しかでなかったら,「はずれた」といい,その反対に,百二十俵もでると「当った」と喜んだものでした。  炭焼は,その村の住民が大部分でしたが,他所者も入り込んできました。それらの人達は,山持や炭商人の焼子として働いたものでした。炭山へ入山するときには,米何斗・昧噌何貫とかの食料を支給して貰って,炭窯ができて第一回の出炭がある迄の生活を支えました。こんな粂件で仕事にかかるのでしたから,一俵でも多く焼かねば日当にならないので,遮二無二稼いだものでした。 (つづく) ********  注)これまでの記事は〈タグ「つくで百話最終篇」〉で  注)『続 つくで百話』の記事は〈タグ「続つくで百話」〉で  注)『つくで百話』の記事は〈タグ「つくで百話」〉で