集団「Emication」別館

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鏡開き。「姓氏と家紋/起源と意義(前半)」(続 つくで百話)

ぜんざい0111。 天気の良い一日でした。  正月の鏡餅は年神様の依り代であり,松の内を過ぎて「鏡開き」(鏡割り)でいただきます。  年神様の力が宿った鏡餅をいただくことで,その力を体内に取り込み,家族の無病息災を願うという意味があるそうです。  みなさんのお宅では,どのようにしましたか。  『続 つくで百話』(1972・昭和47年11月 発行)の「姓氏と家紋」からです。 ********     姓氏と家紋(設楽町 沢田久夫)        起源と意義(前半)  名は有史以前の未開時代から存在しております。白昼なら自他の区別が面貌によって判りますが,暗夜には唯声によってのみ聞きわけるほかなかったので,その不便さは想像に絶するものだったでしょう。そこで各人に名前をつけて呼ぶことにしたのですが,名という字は西山にかかる月の形と,声音のでるロの形とに象どりつくられたものといわれております。  今では苗字と氏とを同じ意味に用い,苗字と名とを併せた場合には,氏名とも姓名ともいうように,氏も姓も同じ意味に使っておりますが,この三つはもとは別々のものでしたが,中世以後それが混乱をはじめ,後世になると判別しにくいものになってしまいました。  原始時代から時が経つにつれて人口が増殖しましたので,遂に血族上の区別を立てる必要が生じましたので,名の外に氏号をつくりました。氏はウジと訓じ,生み筋の意味で,血統を明らかにしたものです。中臣,物部,久米,忌部などがこれで,政治,兵事,祭祀など血統によって職業が区別されておりました。後世になると,この意味がうすれて,氏族の尊卑を表わすために用いられました。源氏,平氏と呼ばれたのがこれです。  姓はカバネと訓み,家の尊卑をきめたもので公(きみ),臣(おみ),連(むらじ),造(みやつこ),直(あたえ),首(おびと)などと別れ,家の格式をあらわす称号でした。これをもつ家は,その子孫は勿論,分家したものもこれを称へて,その家を象徴する栄爵と考えられておりました。しかし,姓をかつ家の増加は物凄く,天平の頃,都では姓をもつものの方が,もたないものより多くなってカバネの有難味がへり,十一世紀頃から使わなくなりました。 家紋0111。 当麻蹴速は居住地をあらわし,熊襲梟師のタケルは勇者の表現です。このように地名や性格をあらわすものも生じました。その後,大化の改新によって,戸籍ができるとウジもカバネも登録され,みだりに変更することができなくなり,且つ氏と官職の関係がなくなりました。後に綱紀が紊乱し,戸籍法が行われなくなると,名の聞えない氏より有名な氏についた方が万事に利益なところから,地方に相当実力ある氏は,ちょっとした由縁をたどって,有力な氏の家人となり,その氏を冒して,遂に天下の豪族はあげて当時中央に栄えた源,平,藤,橘,紀,菅原,大江,清原などと称することになりました。  古代の人名は入鹿,木兎,真鳥などのように大体物の名を実名にしています。そして男は子,麻呂,女は女,刀自を添えました。この風は平安初期まで行われていますが,一方奈良朝の頃から,ぼつぼつ嘉字をえらぶ風習が起って,平安末期になると一般民衆まで二字四音,即ち道眞,清盛というような名を百姓でも名乗りました。ところがこの実名は公のものであるにかかわらず社交上に使われず,字とか仮名とか呼名とかいうもので,その人を表わしました。藤原秀郷の字は田原藤太といいましたが,田原は地名で,藤太は藤原の一字に太郎の太を添えたもので,この字の上半分の地名が苗字の起源であり,下半分が通称の起りです。長岡大臣(おとど)というのは藤原長手のことで,上半分は居住地,下半分はいうまでもなく官名ですが,いつしか上の地名を家名として子孫に世襲し,他に移っても変更しなくなって,一条,近衛,西園寺などという公家の称号が出来ました。武士が居住地に官職名を添えて呼ぶことも古いもので,殊に太夫別当,衛門,兵衛を添えたものが多く,若年の中は太郎,次郎等生れ順を示す輩行を添え,官職をもつようになるとこれを添え,最後に入道と呼ばれました。初めのうちは氏と字ははっきり区別されいて,源清光甲斐国逸見に住んで逸見冠者といったのに,その子信義は武田に拠って武田太郎,その子忠頼は一条館に住んで一条次郎といったように字の上に冠する語は一定していません。それが平安末期になると萬事先例が重んじられるようになって,官職以下が世襲される傾向を生じ,通字といって,その名の一字を子孫に伝えるようになりました。それと同様に,字の上半分も子孫に伝えるようになって苗字となりました。つまり苗氏が氏に代ることになったのです。 (後半に続く) ******** 注)これまでの記事は〈タグ「続つくで百話」〉で 注)『つくで百話』の記事は〈タグ「つくで百話」〉で