集団「Emication」別館

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小雪。「お城を構成する要素」(続 つくで百話)

紅葉1122。 今日は,二十四節気の一つ「小雪」です。以前は,この日に合わせるように雪が降ったことがありますが,今日は雨の一日でした。  寒くなったとはいえ,今年の雪は,もう少し先のようです。  今年の冬は,どんな天候になるでしょうか。  『続 つくで百話』(1972・昭和47年11月 発行)の「作手のお城物語」からです。 ********     作手のお城物語(設楽町 沢田久夫)          お城を構成する要素  太古極めて少数の人が,広漠たる大自然の中に住んだ頃は,まず森に棲む野獣の襲撃から身を守ることが第一であり,ついで人口が増加すると,集団同志の間に競争が起り,対立が生れます。対立は時として闘争に及び,血を流すこともあったでしょう。そこで社会の安寧を保ち,集団,氏族,国家の存在を全うするためには,自らを守る軍備が必要となります。  まず,天然の地形を利用して,その能率を高めることを考えますが,更に進んで,そこに人工的な防禦施設をした方が,一層よいということを知るようになり,ここに始めて築城ということが始まりました。城または城郭ともいい,一言にしていえば,軍事目的をもって構築した防禦施設ということになります。従って城の形や種類も,時代により,所により,目的によって千差万態です。  城郭を構成する要素を,その工事の上から大別しますと,土工と建築とに分けられます。前者は天然の地形を利用して塁濠などを構築するもので,城郭構成上最も重要であり,且つ基本的なものです。後者はその上に建築されるもので,前者に比べると従属的な位置におかれます。江戸時代の軍学者は前者を普請,後者を作事といいました。  土工の主たるものは塁と濠です。これは城郭構成の基本で,塁は「土居」といい,土を以て築き上げるのが普通でしたが,近世になると石垣を以てその表面を固めるようになりました。また石垣と土居を併用し,上部もしくは下部,外側のみを石垣とする場合もあります。しかし石垣を築くということは,大へんな労力と財力を必要とします。従って山家三方衆程度の実力では出来なかったと見え,作手の城に石垣は見られません。  城塁には曲折の有るものと無いものとあり,曲折に直線状のものと曲線状のものとあります。主として自然の地形に従う山城では,概して曲線的ですが,人工を主とする平城では直線的なものが普通です。城塁の高さ及び幅は,城の規模の大小と地形によって一様ではありませんが,近世の軍学者は,まず高さは城内の平面から三間,幅は項で二間,基底が八間を以て標準としました。  これらの塁には城兵が拠って戦うために必要な通路や階段がついており,その位置,形状,大小も軍学者の研究の一部で,塁の外部には濠のあるのが普通です。濠には水のあるものと無いものとあり,両者の中間に位するようなものもありました。水のないのを「空堀」といい,山城に主として用いられ,平地でも水利の悪い所では之を用いました。両者の中間に位するのが「泥田堀」で,これは低湿地に用いられ,舟を浮べることもできず,さりとて徒渉も不可能という,防禦には却って都合がよいものでした。  堀と関聯して注意すべきものに,井戸,池,上水道,下水道,塵捨場などがあります。生きとし生けるもの水がなくては一日も生きてゆけません。そこで飲料水の確保に最善の努力が払われました。「築城記」という兵書に「山城では十分に水を試してから構えるべきで,谷のある山の尾根を堀切り,水の近くの木を伐って,水の溜るようにしておくべきである」と説いています。そこで用水の便の悪い山城では,池を堀り水の漏らないように池の内部を赤土で叩き固め,壁のように塗り廻し,軒の雨水を一滴も余さず懸樋で導いて池に溜めました。又大甕をいくつか備え,天水をこれに貯えるということは,最も普遍的な飲料水対策でした。  建築物及びこれに準ずるものの構造は,時代と場所によってかなりの相違がありました。その最も簡単なのが,自然の樹枝樹幹を利用した鹿砦(逆茂木)です。普通には臨時にこれを構えますが,平常からこれと同じ目的で植樹しておく場合もあります。軍学者はこれを「植物」といい,茨や棘の多い枳穀,寨勝などはその目的にぴったり,丈の高い植物は隠蔽の用も兼ねました。戦時には通路や濠中に菱を撒いて敵の通行を防げました。ヒシは小さい鉄製の四つの棘をもったものでどんな風に転しても一つは必ず上向きで,履物の悪かったむかしは随分と威力を発揮しました。  柵に板を張ったのが「板塀」で,これに耐火耐久の目的で表面を土で塗ったのが「塗塀」です。木を用いず全然土と瓦で築い「築地」や塗塀の表に瓦を張った「海鼠塀」がありますが,これらは余程の大城でないと見られません。塀は塁上又は崖上にこれを建連ねて敵の侵入を防ぐと共に,城内を隠蔽し且つ矢石弾丸を防ぐのが目的です。しかし塀は動かないので,戦時には臨時に楯を利用しました。杭も簡単ですが,騎馬の突進を妨げるには有効でした。  木戸は城戸で臨時築城によく用いられました。山城では険路を扼し,柵につづき地形によっては二重三重にしました。材料は付近有合せの木材で堅固を旨とし,これに格子になった扉をつけました。こうすれば近づく敵に矢を射かけ,或は刀槍を以て打払うに便利でした。  城の出入口には門を設け,濠には橋が架けられました。門も両側に柱を建てただけの簡単なもの,之に木を渡した株木門から,屋根のあるもの,上に桟敷のあるもの,楼門としたものなど種々ですが,何れも扉をつけ開閉できるのが普通です。また塁を断ちきらず「埋門」としたトンネル式のものもありました。門の材料は木材ですが,後には金属板を張ったものが出ました。門の内部に矢らいや柵を設けて更にここに門を設け,塁を以て築いたのがいわゆる桝形式城門で「虎口」「馬出し」ともいいました。  城塁上に建てられ平常は住居とし,或は兵器糧食を貯え,戦時にはこれに拠って戦う建物があります。これを「長屋」とも「多門」ともいいます。また展望や俯射に便するために,これを二重三重にしたものを「櫓」といい,その位置,目的,形式によって隅櫓,月見櫓,二重櫓など様々に呼ばれました。これらの櫓から発達して,城の中央に最も大きく建てられたのが「天守」ですが,これは戦国時代でも一番終りでないと出てきません。これらの塀,多門,櫓には,外部を眺めたり矢弾丸を発射するための窓が明いています。これが「狭間」で,矢狭間,鉄砲狭間等といい,その形状,位置は軍学者の研究領域でした。なおまた城門,塀,石垣等には敵兵が近寄った際打ちかけるべき「石落し」の仕掛のあるものもありました。  尚この外に,城内には兵器糧食の貯蔵庫,城主や重臣の邸宅,厩舎,平時の政庁などの諸建物があったことは云うまでもありません。城郭は以上の構成要素を,その目的により城郭の大小に応じて,選択組合せて築城したわけで,時代を遡るほど簡単素朴でした。作手地方最大最強の規模をもつ亀山城にしてからが,石垣はなく虎口の存在も不詳で,普請も実用一点張り,塀の如きもざっとした塗塀の域を出なかったのではないかと思われます。 ******** 注)これまでの記事は〈タグ「続つくで百話」〉で 注)『つくで百話』の記事は〈タグ「つくで百話」〉で