集団「Emication」別館

楽しく学び,楽しく活動する,笑顔の集団「Emication」。 ふるさとの自然,歴史,風俗などお伝えします。読書や豆知識の発信もしていきます。 活動する人,行動する人,その応援と支援をする集団「Emication」。

山の日。「彦爺の故郷探検」

 夏の日が続いていますが,過ごしやすい日でした。  今日は,国民の祝日の一つ「山の日」でした。「山に親しむ機会を得て、山の恩恵に感謝する」日です。  “山”に親しみましたか。  今日,つくで交流館で3つの催しがありました。  午前中,作手を考える会の『彦爺の故郷探検 その1  作手の特異な立地とその歴史』があり,午後は映画愛好会の「映画鑑賞会」,夜は『踊るは楽し! 「つく手をどり」』でした。 考える会0811。 「彦爺の故郷探検」は,彦爺(ひこじい)こと齋藤彦徳氏(元作手村教育長)が「地形の逆転現象」「川尻(かわしり)と川尻(かわじり)」「長者平村と米福長者」の構成で,その特異性とその成り立ちを,司会との掛け合いで話をしました。  その中で,“作手中央部は湖だった?”という話があり,大きな「作手湖」があったようです。  資料からの引用
 川尻は川下,海や湖に流れ込む所を言いますが,ここでは河口から登ってきた最後の地点を川尻と言います。  豊川の最上流のひとつが作手川合地区で,山を削って北畑側から川合側へ流れており,北畑側の川下を川尻と言っていました。  北は国道301号,東田原への分かれ道あたりで,左右を見ると山が迫っていますが,ここが矢作川の川尻であり,ここ地区は明和になる前は川尻といい,分かれ道あたりの人は「掘り割り」と呼んでいました。  また,鴨ヶ谷地区は今も残っている湿原あたりから岩波側へ流れていたと考えれられます。  昔は北畑から上流,明和あたりまでの一面がまぼろしの「作手湖?」があったと考えられます。  天正18(1590)年の『長者平村検地帳』によりますと「市場さかえ城下 四町八反荒地」とありますから,古宮城付近で四町八反の荒れ地あっただけで,ほとんどが水田になっていたことがわかります。作手湖といっても,豊富に水をためているのではなく,ところどころに水がたまっている大湿原であっただろうと思われます。
 作手地区で過ごしていても,知らずにいたこと,初めて聞くことがたくさんありました。  新しい発見のある講演でした。ありがとございました盆踊0811。 夜の 「つく手をどり」は,最近では踊っているところが見られない“作手に伝わる手踊り”を中心にした催しです。  キッズダンスや中学生の発表も組み込み,つくで交流館の中庭で楽しみました。  今日の手踊りは『数え歌』でした。  小冊子『盆踊歌集(手踊り唄)』に掲載されていた歌詞は,次の記事で紹介しています。参考にご覧ください。   ◇『盆踊歌集』より その6(2016/04/27)  また,本日のようすは,次でご覧(お聞き)いただけます。   ◇「つく手をどり」(つくで交流館)YouTube) 【参考】   ◇タグ「盆踊」(集団「Emication」)