集団「Emication」別館

楽しく学び,楽しく活動する,笑顔の集団「Emication」。 ふるさとの自然,歴史,風俗などお伝えします。読書や豆知識の発信もしていきます。 活動する人,行動する人,その応援と支援をする集団「Emication」。

世界禁煙デー。「ポンスケ」(山か)(つくで百話)

花0531。 日差しを感じることはありましたが,朝から雲が厚く,雨の降りそうな一日でした。  今日は,「世界禁煙デーWorld No-Tabacco Day)」です。世界保健機関(WHO)が,1989年に制定した国際デーの一つです。  2019年のテーマは「Tobacco and lung healthタバコと肺の健康)」で,世界中でキャンペーンが行われます。  あなたにとって“タバコ”は…?  『つくで百話』(1972・昭和47年 発行)から「村の起原と人物」から紹介です。 ********     ポンスケ(山か)  昔は,夏から秋へかけて,幾組ものポンスケ(ポンともいう)がやってきて天幕を張って生活をしておりましたが,戦後は全然みかけなくなりました。ポンスケは山窩というのが正しい名称ですが,戦前は,全国に約十万人の山窩がいて,よく連絡統制を保っていたものだったときいていました。  大和田へ来たポンスケは,彦坊地内で空沢川が巴川へ流れ入る合流点の小高い平坦な場所に天幕を張ることにしていました。この山は昔から佐宗浜男家のものでした。大川のほとりであり,用水としては,空沢川の綺麗な水も使用できますし,獲ものの保存にも便利で陽当たりはよく,しかも暴風も,真正面から吹きつけることもないので,キャンプ場としては,最適の条件を具えておりました。  ポンスケは川原へ穴を掘って入浴をしました。この穴の中へ川水が滲透して一メートルくらいの深さにたまるようにしておきます。夏の炎天でカンカンに焼けついた川石をこの穴の中に投げこむと,風呂の湯のようになるから,ここで入浴をするのでした。少々涼しくなると,火を焚いて石を焼き熱くしたのを,穴の中へ投げいれていたそうです。  ポンスケが張る天幕は,今日,一般のキャンプ用として使用されているような頑丈な帆布製のものではなく,通常衣類として使用するような薄い木綿の布地を使用していましたが巧妙に,この天幕を張り,平等に力がかかるように工夫しておりましたので,相当の大風の日でも,平気でキャンプをしておりました。また,テントの二重張りと勾配の研究で完全に雨漏りを防ぐなどよくも,あれだけ,研究工夫したものと頭が下がるほどでした。  私共は,ポンスケの本業は漁師だとぱかり思っていましたが,最も大きな収入源となっていた生業は,箕や笊作りと,その修繕などでありました。竹,藤蔓,桜の皮などを使用して精巧な箕を作り,女房が,部落の農家などに売り歩るいて生計をたてておりました。もちろん川で獲った魚も売って金に替えておりましたが本職は箕や笊つくりでありました。  彼等は義理堅く,真面目な生活を営んでおり,仲間の中に,窈盗など不正行為をするものがあると,山窩社会の面汚しとして,非難せられ,きびしいリンチも加えられたそうです。  ある時,ポンスケの代表が佐宗家を訪れて, 「長いとこお世話になったがお別れに一杯やりたいから私どもの天幕へお越し願いたい。」と招待してくれました。それではというて,佐宗家の主人が天幕へでかけますと,立派な膳部にいろいろなお椀がならんでおりました。お酒は茶碗についでくれたから呑みましたが,お椀の蓋をあけると中味は十銭,二十銭,五十銭などの銀貨が二,三枚ずつ入れてありました。  その時に,ポンスケの親方が申しますには「私共のつくった料理では,お口に合わないと思ったから,これでご辛抱を願います。」という口上でありました。その日,佐宗の主人は,沢山の銀貨を頂いて,家に帰ったそうですが,兎に角ポンスケは中々の金持ちであったらしいともらしておりました。  しかし,大和田の竹下茂八さんや塩瀬の河合一重さんなどは,釣りの名人で,世間の人が「ポン」というくらいでしたから,ポンスケの方でも気楽に,親しく交際しておりましたので時々,天幕ヘ遊びに行っておりました。これらの人に対しては,ポンスケも手料理を振舞ってくれたそうです。天幕で,ご馳走になった鰻の蒲焼など素晴しい味わいで煎茶もこたえられないうまさであったときいております。 ******** 注)これまでの記事は〈タグ「つくで百話」〉で 【関連】   ◇World No Tobacco Day 2019(WHO ; World Health Organization)   ◇たばこと健康に関する情報ページ厚生労働省
性別・年代別喫煙率の推移0531。