作手古城まつり。母の日。
晴天が続いており,今日も良い天気でした。
今日は,第41回作手古城まつりが,戦国武将奥平氏の居城亀山城址と,隣接するつくで手作り村で行われました。天気も良く,多くの人が集まっていました。
作手小学校「マーチング」,作手中学校「和太鼓演奏」に合わせて会場に向かいました。
会場で知人に会い,“久しぶり”の話を嬉しく伺いました。ありがとうございました。
小・中学校の発表の後,カプリスのフルート&鍵盤ハーモニカ生演奏,創作劇『亀山城ものがたり』,和太鼓クラブ「鼓響」と続きました。
創作劇『亀山城ものがたり』は,小学生が演じた昨年に続き,一般公募した出演者(子供)が熱演をしました。見学者に“作手の歴史”を伝えていました。
素敵で楽しい時間でした。関係者のみなさん,ありがとうございました。
今日は「母の日」です。
“母の日”について,知人が記事を紹介しています。
今日は「母の日」です。日本では,五月の第二日曜日が「母の日」とされ,母親に感謝の気持ちを込めて赤いカーネーションを贈る習慣が定着しています。 この「母の日」はアメリカで生まれました。二十世紀初頭,ウエストヴァージニア州にアンナ・ジャービスという女性がいました。彼女は自分を苦労して育ててくれた母親を心から敬愛し,その母親を敬う気持ちを後世まで残しておきたいと考え,母親のための祝日を制定する運動を始め,1914(大正3)年に「母の日」が制定されたのです。さて,そこまで娘の心を動かせた母親とはどのような人だったのでしょうか。 母親の名前は,アン・ジャービス。彼女は地域の公衆医療や公衆衛生を改善しようと「Mothers Day Work Club」というボランティア団体を組織して,社会的弱者のために力を尽くしていた人でした。 アンがこうした活動をしている頃,南北戦争が勃発します。彼女が住む地域には「南軍」「北軍」の両方の兵士が駐屯し,不幸にもチフスやはしかが流行します。彼女は南も北も関係なく,献身的に兵士たちに救いの手をさしのべたそうです。戦後も分裂した南北の人々の心の平和的和解や子どもたちの教育のために活動を続けました。 娘のアンナは,初めての「母の日」に白いカーネーションを祭壇に飾り,参列者にも配りました。白いカーネーションは母親のアンが大好きな花だったのです。そこから,今では,母親が健在の場合には赤,亡くなっている場合には白いカーネーションを贈るようになったのだそうです。 「母の日」は,感謝するだけではなく,そこに尊敬の気持ちが加わることが大切です。母親としてだけでなく,一人の人間としての母親の素晴らしさを考える日であればと願います。以前のブログで,母の日に絵本『おかあさん、げんきですか。 』(後藤竜二・作/武田美穂・絵)と『おかあしゃん。はぁい。』(くすのきしげのり・さく/岡田千晶・え)を紹介して記事を書きました。よろしければ,ご一読を。 ◇母の日。古城まつり。(2017/05/14) 「母」の愛に拍手。 すべての「母」に感謝。 【関連】 ◇劇団砂喰社 @sunakuisya(Facebook)