集団「Emication」別館

楽しく学び,楽しく活動する,笑顔の集団「Emication」。 ふるさとの自然,歴史,風俗などお伝えします。読書や豆知識の発信もしていきます。 活動する人,行動する人,その応援と支援をする集団「Emication」。

サクラ咲く。「むかしの作手村役場」《父母が子どもの頃 20》

 朝,“雨が降り出しそう”でした。傘を持って出かけましたが,それを使うことはありませんでした。  日中,天気が良くなり暖かくなり,20度を超えました。
桜0326。
 出先からの帰り,“さくら祭り”の場所へ立ち寄りました。子供連れの親子などが遊具で楽しみ,花見をして賑わっていました。  桜の花は咲いていますが,見頃は2,3日先のようでした。  文集「こうやまき」(1970年・刊)から,「父母が子どもの頃」の一話です。 ********    『むかしの作手村役場』 (文・巴小5年 男子)  日曜日の午後, 「昔のなあ,役場は,おばあさんの在所で今の原田くに一という人がいる家だった。それから本所へ移って,長者平のお墓の所で,また今の所へ移っただぞ。」 と,長い間役場につとめていたおじいさんが教えてくれました。ぼくは,おばあさんの親せきが役場だったと聞いてびっくりしました。  そのころの役場の人の数は四人ぐらいで,村長の他に助役とか書記が三人いたそうです。今の役場には六十人 もいるのに,四人ばかりで仕事が大へんじゃなかったかと思いましたが,まだ作手村の規模が小さかったので,それでまにあったのだと思います。仕事は,道をつくること,学校を作ることなどを相談したり決定したりしたそうです。  役場の人の服そうは,着物にはかま姿で,たびをはいてしごとをしました。長者平へ移ってからはじめての村長さんは,峯田りゅうけんという人だったそうです。今の村長さんは,それから二十代目にあたるのです。建物の古さが想像できます。昔の役場にも,今と同じように代々の村長さんの写真がかざってあったそうです。  ぼくのおじいさんは,30年もの長い間役場につとめていました。最初のころの月給が5円くらいでした。だんだん仕事にもなれて,相月の鈴木としゆきさんが村長になった時,収人役をつとめました。その時の主な仕事は税金に関係したもので,村の予算を立て,学校をたてたり,道をなおしたりするのに,どれくらいお金がいるか調査したり,お金を支払ったりするのです。  今の役場の仕事は,昔にくらべ色々と大規模になり,働きやすくなっているそうです。 ********  この作文が,文集『こうやまき』に掲載の最終です。  次回に“あとがき”を紹介して,文集の掲載を終えます。