休暇。「磯丸様」《作手村のむかし 28》
晴れていますが雲の目立つ空で,暑さも厳しくなく,過ごしやすい一日でした。
週末を迎え,「明日から夏休み…。」という方も多いと思います。
働き方改革が言われており,「17日まで9連休」という方もみえるかもしれません。当地の小・中学校は「学校閉校日(13日〜15日)」を設けて,学校を開けないそうです。
職員を“休みやすく”しましたが,規則で閉校日としていないようなので,「休暇を取りたくない」という職員はどうしているのか興味のあるところです。
いずれにしろ,「しっかり働き,きちっと休む」「しっかり休んで,元気に働く」ことが一番です。
よい休暇をお過ごしください。
文集「こうやまき」から,「作手村のむかし」の一話です。
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『磯丸様』 (文・作手南中2年 女子)
東高松の川手から弓木に渡る橋を島川橋といいます。この橋のたもとに小さな碑があって「人のため,かかるわたりの安かれと橋守り神を祈ることのは。磯丸」と,書いてあります。これは,磯丸様といわれる有名な人の歌です。
磯丸様は渥美郡の伊良湖岬に生れた人で,七十六才ごろから八十一才ごろまで作手の川尻(高里)に暮らし村人たちと仲よくして頼まれれば歌を作って,与えていたと言います。
この人は伊良湖村の漁夫の子に生れたが家が貧しくて学ぶひまがなく、海浜の砂に友達から教えられた,「いろは」を習いはじめて,一生けんめいでついに漢字まで覚え,和歌の道にはいり,ついに天皇におめにかかり歌の名人としてうやまわれた人です。
磯丸様が作手の川尻へ来たのは,天保十年七十六才ごろで,歌の旅の途中一泊したのが縁となって土地の人と親しくなり,川尻の人たちは磯丸の徳をしたい相談して弘法堂を修理して住んでもらい,米,麦,野菜をもっていってさしあげたので磯丸もその親切を喜こんで八十一才まで,川尻に住んでいたと言うことです。長く作手にいたので作った歌がたくさん残っております。
昭和九年に磯丸の歌を集めた展覧会が開かれたときには作手中からたくさんの歌が出品され,141点,143首集まりました。歌は「家内安全」,「火の用心」,「病気のなおる歌」,「神のこと」などで,これらはみんな作手村の村中にわたって多くの人々がもっておられるもので,磯丸が当時村の人たちから信頼され,慕われていたことがこのことからも十分わかります。
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昭和9年の展覧会で,どのような歌が出品されていたのでしょう。
この文集には載っていませんが,一度調べてみたいと思います。
【おまけ】
ブルゾンちえみさんのTwitterから
◇岡山 真備のボランティアに参加しました
◇真備ボランティア日記?