集団「Emication」別館

楽しく学び,楽しく活動する,笑顔の集団「Emication」。 ふるさとの自然,歴史,風俗などお伝えします。読書や豆知識の発信もしていきます。 活動する人,行動する人,その応援と支援をする集団「Emication」。

「子守地蔵」《作手村のむかし 6》

花0515。 天気が良く気温が上がり,“暑い日”になりました。  初夏の気持ちのよい一日でした。  先週末,初物の青梗菜チンゲンサイ)がありました。  中国から伝わった野菜ですが,今では日本各地で育てられる野菜となっています。  茹でただけで,素材の味わいを楽しみました。  今日は別の調理がしてありました。美味しゅうございました。  自然の恵みに感謝   文集「こうやまき」(1970年・刊)から紹介を続けています。  「作手地区の記録」を残していくものの一つです。お付き合いください。今日も「作手村のむかし」の一話です。 ********    『子守地蔵』 (文・作手中1年 男子)  高里の郷ノ根に子守地蔵が祀られている。このいわれについて書きます。  これは作手農林の先生の奥さんに先妻の子がいました。自分の子でないので何につけても,こ憎らしく感じ少しのことでも,なぐる,ける,あるいは,縫い針を刺すなど,残酷な育て方をしていました。近くの人達は毎晩,この子の鳴き声を聞かない日はなかったと言っていました。  ある寒い冬の朝,この子は,そそうをし,寝小便をしてしまいました。日ごろからきびしいせっかんを,続けてきた母親は,そうとうひどいせっかんをした後,全身冷水を浴びせかけ,寒空へほうり出しておいた。そのためにその子は,かわいそうに凍え死んでしまいました。母親は,残虐な殺人犯として検挙されました。部落の人達は母親に対する,憤りと,子に対する,慈悲の心から,子守地蔵を祀られたといわれます。  そして,通りすがりの人々に,当時のむごたらしさを思い出させ,子どもを育てる教訓として,今なお高里の郷ノ根に,祀られています。毎朝この前を通学しますが,この話を思い出しては,子守地蔵の顔を,眺めますが,地蔵様の顔は,残酷な母親の顔とは,うって変わった,慈しみのあるまなざしで,かわいらしいあかちゃんを抱いています。  ぼくも,こんな話にでるような,醜い家庭に生まれてこなかったことを幸せに思います。 ********  この話を読むまで,このような悲しい話が子守地蔵にあることを知りませんでした。  次に子守地蔵の前を通る時は,新たな気持ちになれそうです。