集団「Emication」別館

楽しく学び,楽しく活動する,笑顔の集団「Emication」。 ふるさとの自然,歴史,風俗などお伝えします。読書や豆知識の発信もしていきます。 活動する人,行動する人,その応援と支援をする集団「Emication」。

感染予防。 作手の七不思議(2) (作手見聞録)

飾り1221。 朝、窓を開けると、霜で白くなったところが目立ちました。  先日、「病院に行き、抗原検査を受けた所コロナに感染していることが分かり…」と、予定の変更を依頼する連絡が若者から入りました。  また、今日会う予定をしていた方から「家族が新型コロナに感染したので…」と電話が入りました。  普段から感染予防に努めてみえた方々ですが、“思いがけない感染”です。  うがい、手洗い、アルコール消毒、マスクの着用、控え目な会話など、感染予防対策を励行して過ごしましょう。  旧作手村が、地域情報をまとめたA5サイズの冊子『作手見聞録』を作成し、配付していました。数回の更新があり、表紙の異なるものがありました。  発行年が明確ではありませんが、手元にある冊子から順に紹介します。 ********     作手見聞録     ふる里の心を伝える民謡の里   その5 姶良火山の灰  第四紀更生末期に、九州鹿児島湾の一番奥まった姶良町付近で、火山の大爆発がありました。その時できたカルデラが鹿児島湾で桜島は中史火口丘にあたり、有名なシラス台地は、この火山灰の堆績によってできたといわれています。  姶良火山の灰は、日本全土に飛乱し、作手湿原の泥炭層の中からも発見することができます。  この姶良火山の灰とともに泥炭層の中には多くの花粉や昆虫の死骸が含まれており、昔の気候や年代を知る貴重な手がかりとして研究が進められています。   その6 道頓堀 道頓堀1221。 初めて本格的に鉄砲を取り入れたことでも歴史に名高い長篠の合戦で、磔刑にされた鳥居強右衛門勝商の妻子は作手村の清岳に住んでいたとのことです。またこの時、長篠城を守り通した奥平信昌は作手村の出身で、この時の武勲により徳川家康の長女亀姫と結婚しました。その四男忠明は家康の養子となり、元和元年大阪城主(十万石)に、寛永16年に姫路城主(十八万石)となりました。なお現在大阪随一の繁華街道頓堀は、忠明が在城中に道頓に命じて作らせたものだそうです。   その7 埋もれ木  今から約二万年前の作手村には、中北部一帯に広大な湖があったそうです。それが地殼変動(地震活断層等)によって、北へ南へ東へと湖水が流れ出し段階的に干上がりました。そして露出した湖底には泥炭が堆積し、湿原ができました。埋もれ木は湖水が流れでた際になぎ倒された樹木で、泥炭層と湖底層との間にねむるがごとく横たわ っています。 ********  注)これまでの記事は〈タグ「見聞録」〉で