集団「Emication」別館

楽しく学び,楽しく活動する,笑顔の集団「Emication」。 ふるさとの自然,歴史,風俗などお伝えします。読書や豆知識の発信もしていきます。 活動する人,行動する人,その応援と支援をする集団「Emication」。

訃報。 塞之神城址 (作手見聞録)

 天気のよい一日でした。  地域の郷土史家の訃報がありました。  歴史のこと、地勢のこと、地域のこと…、深い造詣と探求心そして行動力に、刺激をいただき学びました。  その学びを形にすることもできず申し訳なく、もっと教えていただきたかった。残念。そして感謝。  合掌
図書1110。
 ◇『三河国軍物語』(齋藤彦徳・著)(2017/10/19 集団「Emication」)  ◇『池田主鈴寛親 ◆山婦ミ乃記 ◆松山ごゑ記 ◆一の宮満つ理』(齋藤彦徳・著)(2019/07/10 集団「Emication」)  ◇「彦爺の故郷探検」(2019/08/11 集団「Emication」)  《追記11/12》◇元作手村教育長の齋藤彦徳さん死去(2022/11/11 新城・勝手に応援隊)  旧作手村が、地域情報をまとめたA5サイズの冊子『作手見聞録』を作成し、配付していました。数回の更新があり、表紙の異なるものがありました。  発行年が明確ではありませんが、手元にある冊子から順に紹介します。 ********     作手見聞録     こんなに楽しい作手の五城址   塞之神城址  古宮城の西方に聳える標高約620mの本城山の山頂にある。本丸は径28.3mの隅丸方形、周囲に高さ2〜3m、上幅平均2mの土塁をめぐらし、東に大手口、南に搦手口につづく開口部(虎口)がある。北東側に比高差5mに、幅5.3mの空濠があり、長さ20mに及び、幅7.5m、長さ18mの曲輪につづく。本丸両虎口間は土塁は少く低くなっており、その下方に幅5m、長さ24mの空濠、それよりやや低く、本丸南口下比高差7mの所に、幅5m、長さ11mの帯曲輪が並び本丸を半周している。二つの空濠の間を約30m下っていくと、幅7m、長さ20mと、幅5m、長さ14.5mの帯曲輪が並んでいる。  二の丸は本丸の西南比高差10mの所にあり、13mに16mの長方形で、周囲に土塁はない。  ここから尾根伝いに文珠山へ28mほど進むと、底辺28m、高さ20mのほぽ三角形の出丸がある。出丸の両側は空濠で、西北のものは濠底から出丸までの高さ6m、濠幅6.3m、長さ10m、外側高さ1.5mで尾根伝い約0.5mで文珠山城に至る。東南のものは比高差6.4m、濠幅5m、長さ12mある。  本丸南帯曲輪より10m下方に、上幅5.3m、濠底幅2.5m、深さ4.5m、長さ38mに及ぶ竪濠が急斜面を下っており、本丸より低いこと60mの所に井戸址という小平地がある。山城はどこでも水都合が悪いが本城もその例に洩れず、山上の曲輪に近い所に水はない。山麓に近いこの井戸址は、直径2m、深さ60cm程の凹地をなし、今も水を湛えているが果してこれが当時のものか不明である。古絵図には北側に今一つ井戸の印があるが、これは発見できなかった。
塞之神1110。
 「浅野文庫」の古絵図と対照すると、本丸も二の丸も形が違っており、土塁も曲輪ごとにあるように描いているが、実際には本丸以外には痕跡すらない。城への通路は竪濠の西方を、屈折しつつ出丸南の空濠ヘ通ずるように記されており、こちらが大手口であることが分かる。
********  注)これまでの記事は〈タグ「見聞録」〉で 【掲載記事から】   ◇3-1 民話の宝庫つくで(1) (記念誌86)(2022/07/04)   ◇文珠山城址と塞之神城址 (作手の名勝と史跡めぐり)(2021/04/29)