集団「Emication」別館

楽しく学び,楽しく活動する,笑顔の集団「Emication」。 ふるさとの自然,歴史,風俗などお伝えします。読書や豆知識の発信もしていきます。 活動する人,行動する人,その応援と支援をする集団「Emication」。

国葬。 自然を活用した教育の村 (作手見聞録)

花0927。 天気がよく、出先で30度を超える暑い一日でした。  午後、故安倍晋三元総理の国葬が執り行われました。  世界に向け「自由で開かれたインド太平洋(FOIP)構想」を提唱するなどの功績がありますが、社会を分断する意見・論議が続くなかで本日を迎えました。
 政府は「国民ひとりひとりに弔意を求めるものではない」として地方自治体や教育委員会に弔意表明を求めないことを決めた
 「弔意を表す」ことがありましたか。  旧作手村が、地域情報をまとめたA5サイズの冊子『作手見聞録』を作成し、配付していました。数回の更新があり、内容に大きな修正はありませんが、表紙は異なるものがありました。  発行年が明確ではありませんが、手元にある冊子から順に紹介します。 ********     作手見聞録     Experience 小粒でもピカッと輝くふる里を目指して   自然を活用した教育の村  私達のふる里作手村(つくでむら)は、中央部に水田が広がり、その周囲を丘状の山々が取リ囲む、さながら縁の厚い盆を持ち上げた様な地形で、外部と距離を隔てていることもあり、村制施行以来合併することもなく、平成8年5月に無事90周年を迎えることができました。  作手の名称は、荘園時代に「作手権」と称する私有権が認められた水田があった名残りとする説と、古代、作手村を被っていた湖が干上がって広大な湿原と化し、その湿原を意味するする「くて」が訛ったとする説などがあります。  古来、この湿原に白鳥の飛来があり、このことにより湿原が肥沃な水田に変わったことから、白鳥に感謝して全国一の数の白鳥神社が建立されています。 挿絵0927。 また、村の8割以上が森林で、降水量は年間約2300mmにも達します。この様なことから「三河国」の地名発祥の地といわれる白髭神社には三河三川の碑があリ、また村の中央部の水田の真ん中には、一級河川矢作川水系巴川と豊川水系巴川とを南北に分かつ分水点があるなど三河地方の水源地域となっています。  今も語り継がれている昔ばなしに、三河国の三大長者の一人、米福長者が作手村に住んでいたといわれ、数々の出土品が確認されています。なお、戦国時代に本格的な籠城戦で名高い「長篠の合戦」で長篠城主として城を守り通し、その武勲により徳川家康の長女亀姫を娶った奥平信昌は作手村の出身であり、いずれも、作手村の豊かな水田と森林とに裏付けされてのことです。  また、古くは天保10年に愛知県は伊良湖歌人糟谷磯丸が避暑地として過ごした土地柄であり、最近では、愛知県内の安城市半田市大府市武豊町がそれぞれ野外教育センターを設置するなど、作手村の自然が大いに活用されています。なお村としては珍しく県立の高校があり、村内で保育園から高校までの一貫教育が可能となっています。  こうしたことから美しい水田に美しい森林、そして美しい清流に美しい良心をキーワードに「住みたくなるふる里つくで」を目指して村づくリが進められています。 ********  注)これまでの記事は〈タグ「見聞録」〉で 【旧作手村情報】   ◇ふるさと「つくで」(作手見聞録)   ◇発見!「つくでの草花」 【掲載記事から】   ◇作手高原文化協会が編集した『つくで百話』から。   ◇作手高原文化協会が発行した第2部『続つくで百話』から。   ◇作手高原文化協会編集の第3部『つくで百話 最終篇』から。   ◇児童生徒の作文を掲載した文集『こうやまき』〜子どもが綴った作手村風土記〜から。